今年は卒業式こそあるものの、懇親会はないですし、雨で足元が悪い中、わざわざ会場から大学まで来られない人も少なくないことでしょう。なので、卒業していく皆さんに向けて、今年度もこちらから。
言うまでもないことですが、新型コロナウイルス感染症は皆さんの学生生活に大きな影響を与えました。それがようやく収まっていこうかという時に、皆さんの卒業の時期が来てしまったことについては、正直言うと複雑な思いがあります。
ただ、そんな3年間に歩みを止めなかったからこそ、われわれが皆さんにつけてほしかった姿勢、昨年も書きましたが、不安定さや不確実さを増す世の中で、自分の人生を生きていくための最低限の姿勢を、皆さんは身に着けたはずです。
それは、学んでいこうとすること。
知ろうとすること。
そして何より、他者と関わりながら、新しいものを作りだそうとしていくこと。
今日贈られる学位記に記された「学士(地域協働学)」とは、実習、研究、それ以外の学部でのさまざまな取り組みを通じて、皆さんがそのような姿勢を身に着けたことを示すものです。
2020年1学期の実習報告会、コロナ禍での行動制限が最も厳しく、実習地にまるで行けない中での皆さんの取り組みの報告に対して、私は「卑下することはない、胸を張ってほしい」と申しました(覚えている人いるかな)。
その思いは今も変わりません。未曾有の制約の中で、地域協働の取り組みを諦めずに続けたことを、むしろ自信の種にしてほしいと思うぐらいです。
そして、これまた昨年度の繰り返しになって恐縮なのですが……
この姿勢を基に、皆さんがそれぞれの進んだ先において、何を得るかは自由です。皆さん次第です。
ただ、一教員の勝手を言わせてもらえるなら、ひとつだけお願いしたいことがあります。
あなた自身にとっての幸せをつかんでください。
幸せになりたい、幸せになってほしい―それは、「幸せ」という概念を得た人間誰しもが願うことでしょう。
ただ、そこで言う「幸せ」とは何でしょうか?
現代社会は過去とは異なり、社会の規範が「幸せ」の中身を全て決めることはできません。少なくとも、全て決めてはいけないというのがタテマエです。
なので、自分の幸せとは何なのかは、あなた自身が考えなければならないのです。そして、その「幸せ」を、社会の中で他者と関わって生きていきながら、実現していかないといけないのです。
その過程では、競い合いや対決、争いもあるはずです。あるいは、いっそ考えることを止め、自由から逃げて、誰かに決めてもらった「幸せ」に従う選択も、無くはありません。
ですが、さまざまな地域で、さまざまな主体とともに自分たちの取り組みを実現させてきた皆さんは、そのような競い合い、対決、争いが全てではない、中心ではないことを、身をもって学び取っているはずです。
また、最低4年間研究科目に取り組んだ皆さんには、自身で問いを立てて、自身の答えを見つける姿勢と経験が身についているはずです。
そして、それらの取り組みによって「協働」を学んだ皆さんは、多種多様な主体との話し合い、関わり合いの中で、その幸せと、他者の幸せとを、折り合わせたり、統合したりしながら、いずれも実現していこうとできるはずです。
自らの頭の中だけの幸せを具現化するために、他者にあらゆる犠牲を払わせる者が、世界中に災禍をばらまいています。この部分は繰り返したくなかったのですが、残念ながら、今年もその災禍は終わっていません。
「協働」とは、そのような不正義の対極に位置するものです。だから、「協働」によって、あなたがあなたの幸せを追求することも、そのような不正義に対して、Noと言うこと、不正義を否定することのひとつです。それがどれだけささやかだったとしても。
誰のものでもない、あなた自身が納得できる幸せを考え出すこと、そしてそれを、他者との協働の中で、他者の幸せとともに実現しようとしてください。
その試みの先にこそ、われわれがこれまで実現できなかった、あるいは本気で実現しようとしていなかったのかも知れない、それでもやはり目指すべき、自由、公正、そして平和な社会があるはずです。
ご卒業おめでとうございます。皆さんの前途に幸あれ。
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