今回は研究や調査の合間にウランバートルで見たものをいろいろ書き連ねていきます。その際、かつて私が暮らした頃の写真もご覧いただこうと思います。
昨年今年とウランバートルでの拠点になったチンギス・ハーンホテル付近。なのですが、目下高層住宅が建設中で、ホテルは奥に隠れてしまいました。
2000年初冬に撮影した写真です。真ん中に誰かいますが気にしないでください。
角度は違いますが、だいたい同じ場所を撮影しているはずです。昔のウランバートルには、これだけ空が広かったのです。
少し北、かつてのザローチョード大通り(現北京通り)の橋まで来ました。昔はこの辺りを歩いてモンゴル国立大学まで通ったのですが、その橋はより大きく桁の高いものに架け替えられました。
往時の風景。この辺はあえて市街化されていなかったのか、ほとんど建物はありませんでした。
今は左岸に高級住宅地ができていますが、次に洪水が来たら大丈夫だろうか、今も昔も同じであろう堤防を見ながら、ふと思います。
せっかくなので、もう1地点。先程から少し下流、先日のエントリでご紹介した画像を再掲します。
これが2001年の春だったと思います。モンゴルで高度成長が始まる少し前です。
この歳になると、過去とは美しく見えるようになるもので、それをあえて拒まなければ老害一直線になってしまうと、自分を戒めているつもりではあります。
しかしそれでも、かつてのウランバートルは美しかった、いや今が美しくないわけでは必ずしもないのだけれど、かつての長閑で美しいウランバートルをいろいろな人に見てもらいたかった、という思いは、どうしても感じてしまいます。
とはいえ、今のウランバートルも悪くはありません。中でも、交差点で歩道にスロープが作られるようになったのは、特に良い変化のひとつです。
そんな中で、今年街のあちこちで初めて見たのがレンタルのスクーター。広場や歩道の傍らに止められていて、若い人が誰にも断らずに利用しています。
それでいいのかと不思議に思っていたら、今度はスクーターに乗った人がやって来て、降りたそばからスマートフォンを取り出してQRコードを撮影、何やら入力していました。
なるほど、スマホ決済でどこでも乗り降りできるようにしていたんですね。道路事情や法律が違うので単純に比べるのもどうかと思いつつ、この辺は日本より進んでいるなと思ったのでした。
百貨店に行くついでにビートルズ像を見てみると、色が変わっていました。下の部分が青から緑になっています。せいぜい2日ぐらいの間に、何があったんでしょうか。
そして百貨店へ。館内には外国語でのカスタマーサービスの案内が出ていました。英語、ロシア語、中国語、韓国語です。
日本語がないじゃないか、とご不満の向きもあるでしょうがそういう人で日本国内でハングルや簡体字を見るのが気に入らなかったりする人もいたりするんですが、今やモンゴルに来る外国人旅行者の多くはロシア国籍、中国籍、韓国籍で、日本国民は大得意とは言い難いんですね。
なので、文句がある日本人はモンゴルに来てお金をたくさん落としなさい、というのが私の意見です。
えっ、円安だしインフレで給料も上がらないから無理?まぁね。そういってる間に日本の影がどんどん薄くなっていくんですけどね。
といいつつ、日本のコンテンツはいまだ人気を保っているようです。ただNARUTOはとにかく(たぶんそのまんまキリル文字になっているはず)、鬼滅の刃の訳が分かりません。
晴れが続いたモンゴルですが、1日だけ雨交じりの日がありました。この日の雨に関しては大したことがなかったのですが、なにせ洪水があっただけに不安はどうしても感じてしまいます。
そして大した雨ではなくても、排水設備が不十分だったり、道路の修繕が間に合っていなかったりで、道のあちこちにこのような大きな水たまりができます。
交差点もこの通り。昔よりは随分マシになったものの、自動車優先のきらいは今も残っているので、歩く時には車の泥はねによほど気をつけておかないといけません。
先程の写真にもありましたが、ウランバートルの各地で自転車レーンが増えています。「自転車に乗っていたら中国人呼ばわりされて石を投げられた」などという話がまことしやかにささやかれていた時代からすれば隔世の感です。その割に自転車自体はあまり見かけませんが。
昼ご飯を買いにコンビニに入ると、ドリンクコーナーにチャツァルガナ(沙棘、サジー)ドリンク専用の機械がありました。店が混んでいたので今回はパスしましたが、また機会があれば利用してみたいところです。知っているブランドなので「外す」リスクはまずないですし。
市内東部のロシア科学文化センター(RTsNK)。普通に業務を行っていて、モンゴルの子どもたちが入っていくのが見えました。
「永遠の記憶」と題された大きなボード。ロシアとモンゴルの国旗も描かれていますが、ハルハ・ゴル戦争やモンゴルで「解放戦争」と呼ばれるソ連・モンゴル対日参戦ではなく、独ソ戦の勝利を祝うものです。9月初頭という時期から言えば、対日戦勝利記念とか言いそうなものなんですけどね。
学生や地域の方々へのお土産を買うために、ホテル近くのeマートへ。韓国資本のeマートですが、面しているのは、画像で言えば手前を横切る東京通りと、直交する北京通りです。
と思ったら、改称されたはずの「青年大通り」の名前を記した、まだ新しめの案内板がありました。良いのかなこれ。
ともあれeマートへ。ここはいったん2階に上がってから、1階に降りてレジで精算するルートになっています。
なのでエスカレータを利用することになったのですが、見ると「右側で立ち止まってください」という案内板がありました。また大阪の人が喜びそうな内容です。
1階の食料品売り場に降りて、一通り買い物をします。流石に店内で撮影するのは憚られたので、写真がないのはご容赦のほど。
ただうっかり買い物袋を忘れてしまい、これも経験だと思って有料のレジ袋を買うことにしました。
で、袋を買ってみるとこれが大きいこと大きいこと。ホテルに帰って拡げてみました。隣が10円玉なので、大きさが少しは伝わるかと思います。
ちなみに、代金は200トゥグルグ、日本円でだいたい9円です。高知で見かける有料の袋が大きい方で5円なので、それよりも高いことになります。
もっとも、ここまでのサイズのものはないですし、2袋でこれと同じぐらいの大きさだとすれば、そんなに値段は変わらないことになります。
とはいうものの、日本よりはるかに物価が安かったはずのモンゴルです。それが、日本とほとんど値段が変わらなくなってきているというのには、どうしても衝撃を感じます。ことはレジ袋だけではないですし。
モンゴルの経済が伸び、インフレも進んでいく中で、自分の購買力が落ちたのを今年はとみに感じます。先程の話にもなりますが、給与は上がらないわ円安で目減りするわがこれからも続くのであれば、日本よりも買い物がしづらくなる日すら、あるいは来るかも知れません。
惨め、という言葉が沁み出てきました。
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