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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

Баяртай, Урт цагаан(さよなら、オルト・ツァガーン)

 

 モンゴル・ウランバートル中心部の商業施設オルト・ツァガーンの解体工事が始まりました。慣れ親しんだ場所がまたひとつ姿を消していきます。

 

 

 モンゴル・ウランバートルの中心部にあるオルト・ツァガーン商業・サービスセンターの解体が始まったというニュースを見たのは、数日前のことです。

 

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 その時は大して気にも留めなかったのですが、今朝になって解体が進んでいるのをネットニュースで見たときには流石にショックでした。四半世紀近く見慣れた光景がなくなるのを、現場でないとはいえ目の当たりにしたからです。

 

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 オルト・ツァガーン。直訳すると「長い白色」という変わった名前です。付近に鍛冶屋や銀細工職らがいたため、加工する金属の形状からこの名がついたという話は聞いたことがあります。実際のところは分かりませんが、周辺で金属製の工芸品を売る店を見かけるのは確かです。

 ただ、私にとってのオルト・ツァガーンは古本屋街でした。正確にはオルト・ツァガーンの建物ではなく、その目の前の通りになるのですが、歩行者専用の道路上に、古本屋が構える露店が立ち並ぶ街でした。

 もう20年以上も昔、若く稼ぎもない留学生だった私にとって、オルト・ツァガーンで古本を漁るのは楽しみのひとつでした。現代モンゴルの遊牧経済という、モンゴル学者ならおよそ見向きもしない分野にこだわっていた私にとって、研究に直接役立つ本を探し出すのは不可能に近かったのですが、それでも馴染みの古本屋とのやり取りは楽しいものでした。帰国する前、一緒に撮った記念写真は今も宝物です。

 ただ、それから年月は過ぎていきました。ウランバートルで自動車が急増する中で、道路は歩行者用から自動車に明け渡されました。

 一方で、オルト・ツァガーンの建物を解体し、跡地を公園にする計画が浮上。入居業者が違法な金精鉱を行ったとか、化学物質を使ったとかいう報道が出てきて、オルト・ツァガーンを廃すべしとの声が高まっていきました。

 

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 その流れの中で、オルト・ツァガーンの解体の賛否を問うネット投票が行われたところ、96%が賛成という結果が出てきました。ネット投票が世論調査たり得るのか、という話はさておき、これでオルト・ツァガーンの運命は決したとは言えるでしょう。

 

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 先述の通り、オルト・ツァガーン界隈は私にとって馴染み深い街でした。なので、在りし日の写真がないか探してみたら、ちょうど四半世紀前、1999年の夏に撮った写真がありました。

 

 

 左側にあるのが、解体されているオルト・ツァガーン商業・サービスセンターです。右側にはいろいろな露店が並んでいます。当時はスーパーマーケットなどというのもほとんどなく、買い物は市場か露店でするものでした。

 

 

 オルト・ツァガーンの中にあったゲームセンター。モンゴルにもゲームセンターができたという驚きで撮った写真です。ただ、今にして思えば、オルト・ツァガーンの建物に入ったのは、おそらく後にも先にもこの一度だけだったのでした。

 

 

 それから5年の時が流れ、また訪れたオルト・ツァガーン。雑然とした露店はなくなってしまい、こじゃれた通りになっていました。

 

 

 ただ、ゆったりとした歩行者道もモータリゼーションの前に屈し、写真で言うと緑地帯の左側が車道になってしまいます。その結果がトップ画像です。

 

 本来なら、もっと多くの画像でオルト・ツァガーン界隈の変化をお見せすべきなのですが、そもそもの画像がありませんでした(苦)。それだけ、オルト・ツァガーンという街が、変化しながらも私にとって当たり前のものだったのかも知れません。

 ただ、その街もなくなろうとしています。跡地は公園になるそうで、それは悪い話ではないのですが、ひとつの時代が去っていくのは確かです。

 

 Баяртай, Урт цагаан минь. さよなら、ぼくのオルト・ツァガーン。

 

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