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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

Back in Ulaanbaatar (1) 初めての新空港から懐かしの首都へ

 

 以前にも書いた通り、3年ぶりにモンゴル・ウランバートルに行ってきました。今回から私が見た現地の様子を何回かに分けて、ぼちぼちと書いていきます。

 

 

 

 高知から羽田、羽田から成田へ。国際線はかなり復活していました。

 実はCOVID-19パンデミックが始まった直後にこのボードを見る機会があったのですが、軒並み欠航になっていて衝撃を受けたんです。それから考えると、よくここまで盛り返したものだと思います。

 

 

 保安検査から出国、3年ぶりでしたが戸惑うことなく済みました。長い通路を歩くと、久々のMIATモンゴル航空、ウランバートル行の飛行機が待っていました。

 

 

 えっ!?と思った方。そうです、MIATはブンデスリーガ所属ボルシア・ドルトムントのパートナーだったのです。

 

 

 なので、機内でもBVBの広告が流れます。選手も登場します。

 ただ、パートナー契約って今年で切れてなかったでしたっけ?間違ってたら済みませんが。

 そしていよいよ出発です。誘導路で数珠つなぎになって離陸を待つのですが、直前の飛行機を見て驚きました。

 

 

 アエロ・モンゴリア航空!今年から成田便を開設したモンゴルの民間航空会社の一つです。以前Twitterで「搭乗券が手書き!」というので話題になったのを見た方もいらっしゃるか知れませんね。

 

 

 

 ついに成田から複数の航空会社がウランバートル便を飛ばす時代が来たと思うと感慨深いです。ただこうなると夢は膨らむわけで、どうせならスターアライアンスワンワールド加盟の航空会社が加わってほしいとか(スカイチームでも良いのですが。ってか、そろそろMIATもどっか入れるんじゃない?)、関空からの直行便復活か福岡便開設とか、いろいろ考えてしまいます。

 あるいは、高知-インチョン便ができればずいぶん乗り換えが楽になるんで、それでもいいんですけどね。

 

 

 無事飛行機は離陸して、機内食の時間となりました。

 ビールをお願いすると、出てきたのはモンゴル製のビール「アルタン・ゴビ」(黄金のゴビ)でした。3年ぶり、待ち焦がれた再会です!

 

 で、動画でも何でも早送りのご時世なので、飛行機の中の話はすっ飛ばして(笑)

 

 

 飛行機は日本から韓国、中国を経てモンゴル領空に入りました。そして徐々に高度を下げていきます。

 実は昨年ウランバートルの郊外に新空港が誕生していて、当方は今回初めて利用するのです。以前なら着陸態勢に入るとウランバートルの街並みや工場地帯が間近に見えていたのですが、新空港は市の中心部から50キロも離れたところにあって、多少の定住地域がある以外は、全て草原か畑。街らしい街は全然見えず、全然勝手が違います。

 

 

 着陸間際になっても、市街地はまるで出てきません。

 

 (新)チンギス・ハーン国際空港に着陸しました。これが150万都市の空港かと思う光景です。ターミナルビルを見ても、ボーディングブリッジは10箇所もなく、日本の県庁所在地の空港ぐらいの規模感です。

 なおこの空港、建設には日本からの円借款が活用されており、運営は日モ合弁の民間企業が行っています。

 

www.jica.go.jp

 

 さて、飛行機を降りて、いよいよ3年ぶりのモンゴルです。

 ここで、私が渡航した時の日本からモンゴルへの渡航・入国プロセスを簡単に書いておきます。ただしあくまで私の経験なので、これから渡航される方は最新の公式情報を必ず確認していただきたいのですが肝心のモンゴル大使館のウェブサイトがこの間ずーっと動いていないんですよね……

 モンゴルは2022年3月に国境封鎖を解除、新型コロナウイルス感染症の検査や接種の有無の確認なく入国できるようになりました。

 

www.mn.emb-japan.go.jp

 

 以前のように残り期間6ヶ月以上の有効な旅券(パスポート)があれば、90日以内の滞在の場合に査証(ビザ)が免除されます。

 

osaka.consul.mn

 

 なお、入国の際には入国カードに加えて、問診票の提出が求められます。写真を撮るのを忘れてしまいましたが、モンゴル語か英語での記入が必要です。記入方法が分からなければ、客室乗務員か周囲の人に聞いてみましょう。

 そして飛行機を降りた後は、問診票を提出、入国審査、荷物の受け取りと税関検査です。といっても荷物が少なければ検査らしい検査はないですし、書類の記入や提出も求められず、そのまま通過するだけです。昔のあの仰々しい検査は何だったんだと思います。

 

 

 到着ロビーに出てきました。かつてのボヤント=オハーだと外国人に寄ってくる白タクの運転手、スリや置き引きと思しき人々に怒号を浴びせる警察官(スタンガンを持ってる警察官もいた)と、それはそれは緊張感があったものですが、建物が変わって市街地からも遠くなったせいか、ずいぶん落ち着いた雰囲気になりました。とはいえスリにも置き引きにも引き続き要注意ですが。

 

 

 日本からの国際会議参加者と合流して、迎えの車で市内を目指します。振り返った新空港、1階到着・2階出発のビルに、それでも懐かしいボヤント=オハーの面影を感じるのは私だけでしょうか。

 

 

 空港を出るとすぐさま高速道路に入ります。モンゴルでは初めての、そして今のところ唯一の、立体交差構造の高速自動車道です。

 地上を走る部分は鉄条網で立ち入りが制限されていて、走行する分には安全で良いのですが、動物はどうするのかな、という素朴な疑問も感じます。

 

 

 高速道路の終点が近づき、ウランバートルの街の灯が見えてきました。ブレブレの写真になってしまいましたが、別に感動していたわけではなく、単に撮影者の腕の問題です(汗

 そして一般道に入り、かつてのボヤント=オハーからの道路と交わるロータリーに達して少しすると、ウランバートル名物の渋滞が3年間でパワーを増してわれわれを迎え入れてくれました。


 

 3年経つといろいろ新しいものが出てきます。こちらは南部ハン=オール地区の歩行者用信号で、「赤信号、しばらく待ちましょう!!!」というサインが出ています。

 

 

 車は匍匐前進の速さで進み、ゾーン・ホリン・ミャンガトの交差点でさらに2, 30分待たされます。ただ、待つ以外に何ができるわけでもありません。

 それでも何とか交差点を抜けて、何とかホテルへ。着いた時には、空港を出てから2時間近くが経っていました。

 

 

 今回お世話になるホテルの部屋。このホテルに滞在するのは「初めての観光旅行」以来5年ぶりです。

 

www.3710920.com

 

 

 ひとまず荷物を置くと、寝酒を探しに夜の街に出かけます。話には聞いていましたが、ウランバートルには韓国系のコンビニのGS25とCUが一気に増えていました。アルコールを売っているかは店次第で、あるところには韓国焼酎も置いてあります。

 

 

 かと思ったら、なぜかこんなものも。値段は今の日本円に直すと、だいたい300円から400円弱ぐらいでしょうか。円安進行中なのを差し引くにしても、3年間で物価が上がった、というか高価なものが増えたのを実感します。

 

(続く)