12月4日から発生しているモンゴル・ウランバートルでのデモが日本をはじめ国際的に報じられています。デモの推移と背景、政府対応をみていくとともに、今後の展開について考えてみたいと思います。
- 0. はじめに
- 1. デモの経緯:何が起きているのか
- 1.1. デモ初日(4/XII/2022)
- 1.2. デモ2日目(5/XII/2022)
- 1.3. デモ3日目(6/XII/2022)
- 1.4. デモ4日目(7/XII/2022)
- 1.5. デモ5日目(8/XII/2022)
- 1.5. デモ6日目(9/XII/2022)
- 1.6. デモ7日目(10/XII/2022)
- 1.7. 小括
0. はじめに
2022年12月4日の日曜日、モンゴル・ウランバートル中心にあるスフバータル広場で官民の「石炭泥棒」に反発した若者・学生らを中心とするデモが発生、5日以降も続いています。
デモについては国際的な関心も高まっており、日本でも報じられるようになりました。
この「石炭泥棒」については後で解説しますが、モンゴル最大の外貨獲得源である石炭について、採掘や輸送を行う国営企業の幹部や政府関係者らが国外に横流して不当な利益を上げたという疑惑です。
デモは7日目となる12月10日(土)も続いており、一般市民による抗議行動としては、モンゴルでは過去30年で最大規模のものとなります。
ただ、モンゴルはアジア屈指の民主主義国です。そのモンゴルで起きているデモについて、隣国のロシアや中国で起きている反政府デモと同じように見ることはできません。
むしろ、政権に対する態度、政権側のデモに対する態度を見ると、このデモは政府対若者という単純な図式化を許さない、複雑な様相を示しています。
そこで、今回からのエントリでは、現在に至るまでのデモの経過と背景を見ていき、このデモを読み解いていった上で、今後についても考えてみたいと思います。
1. デモの経緯:何が起きているのか
1.1. デモ初日(4/XII/2022)
12月4日(日)、モンゴルの首都ウランバートルの中心部にあるスフバータル広場で、「石炭泥棒」に抗議するデモが発生しました。デモでは「石炭泥棒」の公表を要求するとともに、石炭を付加価値のない原料のまま輸出する現状への不満、鉱産資源への税負担の重さといった訴えが掲げられました。
1.2. デモ2日目(5/XII/2022)
翌5日(月)、デモは平日にもかかわらず拡大します。デモ隊はウランバートルの真ん中、道路交通の要となる中央郵便局交差点を封鎖、ウランバートルを東西に貫く中央道路が一時麻痺する事態となりました。
さらにデモ参加者はオヨーン=エルデネ首相との交渉を求めて政府宮殿(政府庁舎)への進入を試みたほか、一部は年末年始恒例のイルミネーションを燃やす等、破壊行為の兆候も出始めます。
これに対して、首都ウランバートルのスミヤバザル知事はデモ隊の強制解散を命令、国会は一時非常事態宣言を検討する事態になります。ただ、警官隊らによってその夜のうちにデモは解散、危惧されたモンゴル2度目の騒乱は防がれました。
1.3. デモ3日目(6/XII/2022)
ところが、デモはこれで終わりませんでした。6日(火)にもスフバータル広場に人々が集結。この夜も警察によって解散を強いられましたが、7日(水)にも再びデモが発生します。
そしてその中で、デモの主導者としてツォグトー氏という人物が現れます。報道によれば俳優とのことですが、モンゴルの今のエンタメを全然知らないので、どういう俳優なのか分かりません。詳しい方のご教示を乞いたいです……
1.4. デモ4日目(7/XII/2022)
そしてデモ4日目、オヨーン=エルデネ首相が政府宮殿を出てデモ参加者と対面します。
デモの要求に理解を示し、問題解決のために協調を訴える首相でしたが、参加者からはブーイングを浴びせられ、物を投げられる場面すらありました。ただ、その後は先述のツォグトー氏との間で公開の対話を行い、あらためて問題への取り組み姿勢を示してその場を後にしました。
1.5. デモ5日目(8/XII/2022)
ただしデモは翌日以降も続きます。5日目となる9日(金)には騎馬でのデモ参加を試みた一団がスフバータル広場に進入、警官隊に排除される一幕もありました。
さらに、ウランバートル市内ゲル地区*1に住む女性が「シャンプー代の節約」と称して剃髪するパフォーマンスに出ます。直接的には物価上昇への抗議ですが、官民ともに倹約を奨励する政府への当てつけともいえる行為です。
1.5. デモ6日目(9/XII/2022)
他方、6日目となる9日(金)にはデモへの反動も現れます。この日にモンゴルの極右・ウルトラナショナリスト団体とされる「フフ・モンゴル」(蒼きモンゴル)「ボソー・フフ・モンゴル」(不屈の蒼きモンゴル)が合同で記者会見を行い、外国の資金援助でデモを煽動してモンゴルで「色の革命」を起こそうとする者がいると主張しました。
この「色の革命」は2003年グルジア(現ジョージア)の「バラ革命」、2004年ウクライナの「オレンジ革命」、2005年キルギスの「チューリップ革命」等、ロシアの近隣諸国で2000年代に起こった革命を主に指す言葉です。
後のエントリで見ていくように、モンゴルでのデモは政府転覆を狙ったものとはとても言えません。また「外国の援助」というのも具体的な中身は示されておらず、彼らの主張の根拠は不明です。
ただ、現与党人民党は社会主義時代の独裁政党の流れを汲むもので、歴史的に隣国ロシアとの深い関係を有します。その政権を倒すことで「隣国」の機嫌を損ね、「隣国」が干渉してくることを恐れる、というのであれば、話は分からないではありません。
ちなみに、彼らが名指しで攻撃でしているのは"No Double Standard"*2で、「フフ・モンゴル」は同団体が参加したロシアのウクライナ侵略への抗議デモを妨害した経緯もあります。それを考えれば、極右団体の主張や動きはある意味で整合性があります。
1.6. デモ7日目(10/XII/2022)
デモ発生から1週間となる7日目はモンゴルでも休日の土曜日、この日もデモは継続しました。
この日は医師や教員、建築業者の団体がデモに加わったとされる一方、閉鎖されていた広場周辺の道路が再開されたとも報じられています。
このようにデモが拡大したのか、縮小したのかは一概には分かりません。ただ強制的な排除でもない限り、今日11日もデモは行われるはずで、12日(月)以降も継続するかどうかが注目されます。
1.7. 小括
ここまで、4日からの「石炭泥棒」抗議デモの動向を見てきました。現地語の記事ばかりを引用しましたが、モンゴル語ができなくてもご覧いただければ、現地の緊迫感が伝わるかと思います。
では、なぜこのデモが勢いを増して、現在まで続いているのか。原因は「石炭泥棒」と言われても、ピンとこない方が大多数でしょう。ただそこには、モンゴルがこれまで解決できなかった経済・政治・社会の問題が詰まっています。
また留意すべきは、このデモはあくまで「石炭泥棒」への抗議を示すものという点です。そこに政府への抗議は含まれているとしても、反政府運動や政府の打倒という意図は、少なくとも現時点では、デモ参加者の総意とは言えません。
実際、デモの写真を見る限り、内閣総辞職や国会解散よりも「石炭泥棒」の公表と責任追及を求めるものが目立ちます。あくまで印象論ですが、これはモンゴルの従来のデモとは異なる特徴と思われます。
それはなぜか?簡単に言えば、「石炭泥棒」との対決が現政権、あるいは与野党を問わず目標として共有されていること、特にフレルスフ大統領やオヨーン=エルデネ首相らにとって、反腐敗闘争が自身のいわば存在理由になっているためです。
ただ、ここまででかなり長くなってしまいましたので、デモの背景やそのような政府・与党を中心とするデモへの反応については、次回エントリ以降で検討していきます。まずは下記リンク先にお進みください。