佐川と須崎の間に控える峠の北側に、斗賀野駅があります。
無人の小さな駅舎。窓はカーテンが閉じられ、係員の姿は誰もいません。
休日の昼下がり。列車を降りた僅かな人々が去ると、人影を見ることはできません。
閉じられた窓口、待つ人のいない待合室。ローカル線の駅の、よくある姿です。
ただ、「高知線の歌」で3番という若い番号で唄われていることが、駅の歴史の長さを伝えています。
駅舎の横にある花畑。その手前にあるコンクリートの突起は、おそらくかつての車止です。おそらく、ここはかつてのホームだったのが用途を失い、埋められてしまったのでしょう。
斗賀野駅はかつて石灰石輸送で栄えた駅です。当時は斗賀野駅の北側から付近の大平山まで、大阪セメント(現住友大阪セメント)の専用線が延びており、石灰石は斗賀野駅を経由して多ノ郷駅まで運ばれてから船積みされていったそうです。今目の前にある辺りも、往時には貨物列車用の側線が何本も敷かれていました。
しかし、1992年にJR貨物が取り扱いを廃止したことに伴い、石灰石輸送はトラックに置き換えられ、専用線も廃止となりました。側線も撤去され、あとは空き地が広がるばかりです。
奥で黄色い工事用車両が止まっている線路も、かつて手前側も本線に繋がっていて高知側にも出られたのですが、今では切断、短縮されてしまっています。
いくつものレールが撤去された後に広がる花々の中に、高知行きの列車が入ってきます。
広々とした跡地の中に佇む、今では小さくなってしまった駅。
長く連なった貨物列車が過去の歴史となる中、たった2両の特急列車が、速度を落として通り抜けていきました。
(参考)