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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

第17回ウランバートル国際シンポジウムで研究報告を行いました

 

 第17回ウランバートル国際シンポジウムで研究報告を行いました。ハルハ河・ノモンハン戦争85周年に際し、日本の新聞記事や雑誌、学術成果物、書籍のキーワード検索から、日本でこの戦いがどう呼ばれているかを分析したものです。

 

 

 今年もウランバートル国際シンポジウムで報告を行うことができました。今回はハルハ河・ノモンハン戦争85周年に当たり、この戦争に関する新たな研究を集めた会議になりました。

 さらに、会議にはこの戦いに従事した女性兵士チメドスレン氏(御年102歳!)、ソ連軍を率いたグレゴリー・ミハイロヴィッチ・シュテルン大将・ソ連邦英雄の甥御さんも来ており、歴史に直接触れられる貴重な機会となりました。

 私の研究報告は日本語タイトル「ハルハ河になお遠く:日本における『ハルハ河・ノモンハン戦争』への呼称に関するキーワード分析からの検討」というものです。

 

researchmap.jp

 

 日本では長らく「ノモンハン事件」と呼ばれてきたこの戦いですが、最近は「事件」ではなく「戦争」だという見方も広まりつつあります。さらに言えば、この戦いはモンゴルにとって国家の独立を守り通した大戦争であったと同時に、先日のプーチン・ロシア大統領の来訪に象徴されるソ連・ロシア依存を決定づけるという、極めて重要な出来事だったのです。

 それらを踏まえ、この戦争への見方が日本でどう変わっているのか、またこの戦いのモンゴルからの視点がどこまで広がっているのか、簡単な分析ですが検討を試みたのが、今回の報告内容です。

 その上で、ここでは思い切り自分語りをお許しいただきたい。って自分のブログで誰の許しもいらないですね(笑)

 私がモンゴル研究を志したのは高校2年のことでした。当時東洋史に興味があり、なんとなく東洋史≒中国史ぐらいの認識しかなかった私に、中国研究者は山ほどいて今更新たなテーマを見つけるのは難しい、モンゴルだったらまだ研究されていないことが見つけやすいんじゃないか、と父が言ったのがそもそものきっかけでした。

 今とは比べられないほどモンゴルへの関心が低かった当時、そのモンゴルに目をつけた父の先見の明も相当なものですが、それを鵜呑みにした私も私でした(笑)

 そうしてモンゴルに関する本を読みだした時に出会ったのが、田中克彦先生の『モンゴル:民族と自由』です。

 

www.iwanami.co.jp

 

 この本には当時のモンゴルについてのさまざまな論考が収められていますが、なかでも「ノモンハン『事件』」という、戦いを矮小化するような呼び方や、現地の事情を理解しない関東軍への批判に痛快さを覚え(その反省があれば日本の歴史はもっと良くなっていたはず)、当時のレポート課題でこの本を取り上げました。

 つまり、ハルハ河・ノモンハン戦争を日本人がどう見ているか、という問いは、私のモンゴル研究の原点であり、「日本にとってのモンゴル」という私の研究テーマを形作ったものなのです。

 そして30年ちょっと経った今、同じテーマでモンゴルで研究報告を行ったわけで、私の研究がようやく1周目を終えたような感慨を持っています。

 さらに、今回のシンポジウムには他ならぬ田中先生が出席されました。私の出発点を作っていただいた田中先生の前で、この内容で研究報告ができたのは、なんと幸運でありがたいことか。報告のレベルはお恥ずかしい限りですが、長くモンゴル研究を続けていて良かったと心から思っています。

 この研究については近く論文として公表しますので、詳しくはそちらをご覧いただければ幸いです。