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日本フィルハーモニー交響楽団第749回東京定期演奏会に行ってきました

 

 日本フィルハーモニー交響楽団第749回東京定期演奏会に行ってきました。首席指揮者として最後の東京定期となるピエタリ・インキネンが聴衆に贈ったのは、渾身のシベリウス「クレルヴォ交響曲」でした。

 

 

 日本フィルハーモニー交響楽団が4月28日と29日に行った第749回東京定期演奏会。首席指揮者を務め、このほど任を離れることとなったピエタリ・インキネンにとっては、首席指揮者として最後の東京定期になります。

 そのインキネンが選んだ作品は、フィンランドを代表する作曲家シベリウスの若き日の出世作「クレルヴォ交響曲」。オーケストラに加えて男女の独唱、男声合唱まで加わり、演奏時間は1時間超、CD1枚に何とか収まる程度の大作です。

 フィンランド出身のマエストロが、渡邉暁雄先生以来の分厚い演奏の伝統を誇る日本フィルとの別れにシベリウスを選ぶのは、当然過ぎるほど当然です。ただ、それが「クレルヴォ」、しかも1曲のみのプログラムというのは驚きでした。

 ただ、実演機会に出会うことは滅多にない作品です。この機会を逃すわけにはいかないと、前後の日が現地実習だというのに、日帰り弾丸遠征を決行しました。

 

 さて、「クレルヴォ」はシベリウスフィンランドの長編叙事詩カレワラ*1から着想して作曲したものです。作曲順から言えば、シベリウスの「カレワラ」による作品群のはしりと言える重要な曲です。

 この作品が取り上げるのは悲劇の英雄クレルヴォの生涯を歌った部分です。ただ、詳しい内容を書くと長くなりますし、書きながら陰鬱になるので避けます(苦)。

 詳しく知りたい方は、岩波文庫等で『カレワラ』の日本語訳が出ていますし、専門のウェブサイトも参考になるかと。ただし責任は持ちません。

 

www.moonover.jp

 

 さて、作品は「導入」「クレルヴォの青春」「クレルヴォと彼の妹」「戦闘に赴くクレルヴォ」「クレルヴォの死」という5楽章構成ですが*2「クレルヴォと彼の妹」が最も規模が大きく、クレルヴォと生き別れた妹の不幸な再会とその帰結が中心に据えられている形です。

 当時ロシアの支配下にあったフィンランド。そこからの独立を目指す人々の精神的支えとなったのが『カレワラ』でした。「クレルヴォ交響曲」その内容をテーマとした大オーケストラ曲だっただけに、初演は大成功を収めたと記録されています。

 しかし、シベリウスはこの作品に満足がいかなくなったのか、のちに演奏を禁じることになります。そして演奏が復活したのは1966年、彼の死から10年以上経ってのことでした。

 というわけで、今に至っても「クレルヴォ交響曲」は演奏機会が限られ(そもそも独唱と合唱の手配が大変)、交響曲全集のCDにも入っていないことはざらです。

 そんな作品が、しかもインキネン・日本フィルのコンビで聴けるというので、かなり頑張って高知から押しかけてみたところ、はたして期待をはるかに上回る好演、熱演でした。

 既に第2楽章の時点で引き込まれていましたが、第3楽章、ヘルシンキ大学(YL)男声合唱団が加わっての合唱が始まった瞬間、完全に圧倒されてしまいました。さらに独唱に至っては、クレルヴォと妹(厳密には他に若い娘2人も僅かに登場するのですが)の感情まで伝えるものでした。それをどう表現していいか分からないのですが。

 他にも、クライマックスに向かって勢いを増していく第4楽章、一転して虚しさの漂う第5楽章の静かな開始、そしてクレルヴォの死とともに天に昇る彼のテーマ*3。今思い返しても、聴きどころは満載でした。それだけに、最後の余韻が無粋な拍手で削がれたのは遺憾でしたが……

 ただ何より感動的だったのが、シベリウスの作品のうち決して有名とは言い難い、もっと言えば後期の傑作群ほどの評価を得ているわけでもない若書きの作品が、自家薬籠のものとして演じられたことです。

 独唱はもちろんYL男声合唱団も楽譜は一切見ていませんでしたし、オーケストラにとっても決して慣れているわけでもなければ楽ではない(かつ効果的な楽器の使い方ができているとも限らない、と専門外の人間が言うのもアレですが……)作品のはずでしたが、一点の弱みも感じさせない堂々たる演奏を実現させました。指揮者インキネン(そしてオーケストラも、でしょうが)の作品にかける情熱、そしてシベリウス演奏の伝統に裏打ちされた自信がもたらした演奏と言えるでしょう。珍しい作品を取り上げてみました、というだけでは決してない、シベリウスの力作を第一人者の集団として世に送り出す、という気概すら感じられるものでした。

 演奏が終わり、拍手のうちにオーケストラが一礼し、合唱団は徐々に去っていきます。しかし拍手は鳴りやみません。マエストロとの別れを惜しんでいるのです。

 そうするうちに、インキネンが再びステージに現れました。普通の演奏会ならまず考えられないことですが、壇上に立つと再び深々と一礼していきました。

 語り継ぐべき場面に居合わせることができた。ライブコンサートでしかない幸福感は、今振り返ってもこみ上げてきます。

 

※ 本エントリ作成に際しては本文中のサイトのほか、下記を参考にしました。

www.ongakunotomo.co.jp

*1:演奏会でのプレトークによれば、厳密には「新カレワラ」の方だそうです。

*2:資料により表記が分かれますが、ここでは演奏会のプログラムに合わせました。

*3:第1楽章冒頭で示されたテーマ(第1主題)。これが最後に還ってくることで、全曲の統一感をもたらす効果もあります。