高知に来て7年経ちながら、実はこれまで行ったことが一度もなかった龍河洞。このたび思い立って訪れてみました。
お昼時に到着したので、まずは腹ごしらえ。蕎麦屋さんが開いていたので、そちらでざるそばを頂きました。外は雨で気温もさほど高くはなかったのですが、なんか食べたかったのです。
龍河洞を訪れたのは平日で、観光客はまばら。かつては賑わっていたであろう土産物店や食堂は、軒並み閉店という状況でした。
今回のメインイベントは西本洞の冒険コースです。観光センターで検温と手続きを済ませ、龍河洞に向かいます。
ちなみに西本洞コースの案内はこちら。30分程で、比較的お手軽なコースです。なお要予約です。
龍河洞は景勝地としても有名ですが、付近の街並みが昭和後期、それこそわれわれが子どもの頃の観光地とはこうだった、というところでも一部に人気のスポットです。
こちらの建物はかつてのホテルか何かだと思うのですが、タイルといい窓の形状といい、50-60年前の最先端という感じを今も残しています。
現在は1階が休憩所になっているようなのですが、私が訪れたときは休業中。
ふと足元を見ると、
やなせたかし先生による龍河洞のキャラクター、龍河洞リュー君。先程の看板にも大きく描かれていましたね。
昭和40, 50年代はさぞかし、と思わせる土産物屋や食堂の並び、だったはずなのですが、行ってみると一部は取り壊されていました。
跡地がどうなるのか、否応なく気になります。
それでも、さらに進むと往時を偲ばせるアーケードが残っていました。
かつての土産物店。ここからは見えませんが、1階は食堂だったらしく、食事を受け渡していたと思しきカウンターの跡が残っています。
龍河洞へは鳥居をくぐって階段から、あるいはエスカレーターを利用して上がります。
ただ、ここで体力を使っている場合ではないので、エスカレーターを利用します。
一直線に洞への入口へ。このエスカレーター、できた当時は時代の最先端だったのではと、ふと昔を想像してみます。
エスカレーターを降りてふもとを振り返ります。子どもの頃、家族旅行で訪れた観光地の思い出がよみがえってくるようです。
さて、ここからが冒険コースの始まりです。
が、その前に入念な準備が必要です。ガイドさんのご説明を聞いた上で、ヘルメットや探検用のシューズ、ひじあてにひざあてを装着。
料金を支払えばつなぎも貸し出してもらえますが、不要な場合でも、水にぬれていい服装は必須です。まして洞窟の中なので、長袖と長ズボン推奨。時間は短いとはいえ、結構本格的な探検なのです。
では、いざ洞窟に入ります。ガイドさんの後に入ります。
ヘッドライトを頼りに、真っ暗な洞穴を進みます。足元は地下水が絶え間なく流れていて、足元はたちまち水につかります。
それでも深い水たまりには、ところどころ足場が組んであります。水中をのぞき込むと、小さなエビが泳いでいました。この画像で見つけるのはまず不可能な気がしますが……
あくまで自然の洞穴の中なので、頭上が低くなったり、身体を横にしないと通れないほど狭くなったりしたかと思えば、突然上下左右が広がったりします。
あちこちぶつけながら先に進みます。ヘルメットやひじあて、ひざあてに護られるありがたさが身に沁みます。
西本洞は途中で二手に分かれていて、どちらもこの先は通れないというところまで潜入することができます。
というわけで、この辺りが到達点。この間の写真はもっとないのか、と言われると申し訳ないのですが、なにせ気をつけて歩かないとすっ転んでしまいまいますし、そうはならずとも、知らないうちに足元のカニやエビを踏んづけてしまうかも知れない。写真を撮ってる余裕がないんですよ(汗
ちなみに生き物は足元だけにいるわけではありません。洞穴だけあって、頭上にコウモリがいるというので見てみたら、果たして休憩中でした。
そんなこんなで、30分の探検はあっという間に終了。とはいえ体力は結構使いました。
冒険コースは東本洞にもありますが、1時間30分コースの長丁場です。いきなりそちらに行くとかなり堪えたでしょうし、まずは西本洞で慣らしておくので正解でした。
冒険コースは終了しましたが、料金は観光コースとセットになっているので、そちらにも入ることができます。龍河洞観光のメインルート、行かないわけにはいきません。
頭上は低いですが幅は広いです。足元もずっと整備されています。当たり前ですが、冒険コースとはまるで違います。
洞内を進むごとに、さまざまな見どころが登場します。
こちらは「石花殿」。サンゴ状の小さな鍾乳石が壁一面に広がっています。
洞内最大の滝「記念の滝」。何が記念かというと、今から90年ほど前、この滝の上にある鍾乳洞が発見されたことだそうです。
ちなみに、この辺は各所にある案内板で説明されています。
突然空間が広がりました。石碑や祠とともに現れた、ねじれた岩が「絞り幕」です。
柱のように屹立する岩は「天降石」。龍河洞の中でも最大、少なくとも最長ではないかという気がします。
しばらく歩くと、位置表示がありました。意外と進んでいたようです。
さまざまな奇岩奇景が相次ぐ中で、ちょっと変わった見どころがこちらです。
元横綱双葉山が訪れた際にお腹を擦ったという話なのですが、むしろ他でいちどもぶつけてなかったとしたら、その方が驚きなのは私だけでしょうか?
龍河洞は全く手つかずの自然だったわけではありません。弥生時代には住居として利用されていたと言われています。
その証左となるのが、この「神の壺」。当時の壺が2000年の歳月を経て、鍾乳石に覆われています。それでも壺の形は残るものなんですね。
近くでは実際に壺が鍾乳石に包まれてしまうのかを実験しています。
実験開始が昭和12年(1937年)とのことですが、私が高知にいる間に結果は分かるのでしょうか。あるいは、生きているうちでもどうなのか……
弥生人の囲炉裏の再現です。洞穴内には10人程が住んでいたのではないか、という推定があります。
弥生時代の住居は3か所に分かれていて、こちらが出口に最も近い第一室です。当時人々が居住した痕跡が保存されています。
そうするうちに洞穴の出口、天岩戸に到着しました。ここまで小一時間の行程でした。
出口近くの休憩所。ただ新型コロナウイルス感染症やその他の諸々もあったようで(正直詳しく知らないのですが)、現在は休憩施設としてのみ開放されているようです。
洞内はほとんど登りだったので、帰りは山を下りていくことになります。
その途中には無料の博物館があります。展示物から解説文の文体やフォントから、昔の時代の最先端という印象を強くします。
博物館の外には、龍河洞発見者の一人である、高知海南中等学校山内浩教諭の像が建っています。
建立は昭和53年(1978年)とのことですが、40年前のものとはとても思えないほどの状態の良さです。
ここで示した以外にも、龍河洞内の見所はいくつもあります。ただ詳しくは、実際においでてもろうて、直にご覧いただくことにしましょう。