大学内での会議日程は終わり、2日目昼からはエクスカージョンです。まずはウランバートル市内東部にあるゲオルギー・K・ジューコフを記念した胸像と博物館を訪問します。
ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフはソ連の将校で、いわゆるノモンハン事件(ハルハ河会戦/戦争)と独ソ戦(大祖国戦争)でソ連を勝利に導いた勲功者として、現在に至るまで栄誉と人気を誇る人物です。特にモンゴルにとってハルハ河会戦は国の独立を維持した戦いであり、ソ連が崩壊した後もジューコフを記念する像と博物館が維持されています。
ジューコフの胸像の解説なのですが、文字が読み取れるように撮影できませんでしたorz
ただ、記憶が正しければ1984年に設置されたと書いていたように思います。意外と最近の話です。
ジューコフ像の全容。「ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフの思い出に」と記されています。ちょうどモンゴル国軍の兵士が記念撮影に訪れていたのが印象的でした。
こちらがジューコフ博物館。ウランバートルの大通りのすぐ近くにあり、付近は何度となく通っているのですが、実は訪問するのは初めてです。
ジューコフを描いたと思われるモザイク画。勲章が物凄いことになっています。東側の軍人って、防弾用かと思うぐらい服一面に勲章を飾っているイメージがありますが、どれだけ重いんでしょうね。
博物館の正面には、両手に大砲が置かれていました。たぶん詳しい人が見れば、漠然と「大砲」ではなくていろいろ詳しいことが分かるんでしょうが、残念ながら専門外なのでまるで分かりません。
こちらも同じく、よく分かりません。もっとも、ハルハ河会戦はソ連・モンゴル連合軍の機械化・近代化部隊が関東軍・満州国軍を圧倒したというのが社会主義時代の定説だったわけで、2基の大砲がそれを象徴していると言おうと思えば、言えそうな気はします。
博物館の反対側にもモザイク画が描かれていますが、こちらは趣が異なっています。
主人公に光背が差していたり、槍を突き刺している動物がどうみてもこの世のものとは思えなかったり、神話の一ページを描いているようです。ここでどういう場面かすぐにパッと言えるだけの素養が無いのが悲しいところですが……
ただ気になるのが、はたして社会主義時代にこのようなモザイク画を掲げて問題はなかったのか。あるいは当時は別の社会主義リアリズム的な絵が掲げられていたのか。当時を知る人にぜひ尋ねてみたいものではあります。
一通り写真を撮って中にも入ったのですが、そちらについてはぜひご自身でご覧いただくのが最善なので、ここで細かい話は避けましょう。少しだけ書くと、ジューコフの生涯に関するものだけではなく、ハルハ河会戦、そしてソ連・モンゴルの対日参戦と旧満州・蒙疆・朝鮮半島への進出についても展示があります。今でこそ友好的な日本・モンゴル関係ですが、かつて交戦・敵対した歴史とそれへの見解を知っておくのは大事なことだと思いますし、小さな博物館なので、着いてしまえばすぐ見て回れます。ちなみにジューコフ博物館の案内です。
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