はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」に参加すべく、東側ブロックのインストゥルメンタル音楽の10選をお送りします。前々から紹介企画をやってみたかったんですよね、この手の音楽。
- 0. 共産インストゥルメンタル?
- 1. VIO-66「その日その日に」(ソ連)
- 2. カルテット・エレクトロン「地球上で一番すてきな都」(ソ連)
- 3. ウッチ・ラジオ・テレビ楽団「オブラディ・オブラダ」(ポーランド)
- 4. ポズナニ・ラジオ・テレビ・エンターテインメント楽団「展覧会の絵」、ポーランド
- 5. ギュンター・ゴラシュ楽団「そんな風に見られると」(東ドイツ)
- 6. ブダペスト放送楽団"Alone in the Clowd"(ハンガリー)
- 7. ポーランド放送楽団"Now Or Never"(ポーランド)
- 8. G.ローゼンベルグス「ディスコ・ロゼ」(ラトヴィア)
- 9. バヤン・モンゴル・ヴァラエティ・グループ「ジャラム・ハル」(モンゴル)
- 10. ヴィチスラーフ・ミシェーリン電子アンサンブル「ゼムリャンカ」(ソ連)
0. 共産インストゥルメンタル?
この言葉を聞いたことがない方は多いと思います。というのもコレ、私が思いついた言葉だからです。その前に思いついた人は、いくらなんでもいないと思います。
かつての共産圏、社会主義諸国というと、ポピュラー音楽とは無縁のように思われる方もいるかも知れません。音楽があるとすればプロパガンダ用の大衆音楽や、当局のお墨付きを得たクラシックだけしかないだろうと。
ただ、それは誤解の一言で片づけられます。東だろうが西だろうが、平和な状態で娯楽なしに人は生きられません。まして東欧ともなれば、西側のラジオ放送がばんばん入ってきます。対抗するには自分たちのポピュラー音楽も必要になるわけです。
他にも理由はあるでしょうが、鉄のカーテンの向こう側、ベルリンの壁を囲んだ側でも、ジャズやロック、ポップにイージーリスニング、ファンクにテクノ、サイケから果てはロックまで、ジャンルの捉え方はいろいろあり得るとして、兎にも角にも多種多様なポピュラー音楽が栄えたわけです。
そんな時代は過去のものとなりましたが、YouTubeが定着した今日、それらの音楽はいとも簡単に聴けるようになりました。中には珍品・怪作品もありますが、たいていのものは、西側諸国の音楽からしても、決して違和感のあるものではありません。まさに新たなレトロ、どこか懐かしい未開拓地が、われわれの前に広がっているのです。
そんな作品の世界の中で、このエントリでは器楽音楽、インストゥルメンタル作品を「共産インストゥルメンタル」と呼び、その中で私が特に推したい10曲をご紹介したいと思います。
ただし、完全に器楽だけに限定、ヴォーカルが少しでも入る曲を除外すると、一部にヴォカリーズ(スキャット)やコーラスが入るナンバーを扱えなくなるので勿体ない。そこで、ここではインストゥルメンタル主体ぐらいの緩い概念設定にしたいと思います。
では、ここからご紹介していきましょう。ただし当方、東側の言語はモンゴル語以外からっきしダメなので、訳におかしな点がある可能性をご容赦ください。
1. VIO-66「その日その日に」(ソ連)
共産インストゥルメンタルというからには、まずは親分を目立たせないといけないでしょう(笑)そして、いきなりですが、10選の中でいちばん大好きな曲を挙げさせていただきます。これからいろいろ濃いのが来るので、最後の方に回すと、そこまでたどり着けない方も多そうな気がしたもので。
こちらはソ連のジャズ・オーケストラ、VIO*1-66による4曲入りのフレキシ・ディスク*2に収録されています。ゴリゴリの軍楽やプロパガンダ音楽、お堅いクラシックしかないという先入観は、この1曲で崩れ去ることでしょう。
ストリングス主体のメロディは、ところどころユーモラスな表情を見せながら、流れるような優雅さがあって、何より美しい。それこそ、ずっと浸っていたくなるほどに……
私からすれば、この1曲だけでも聴ければ十分なのですが、それじゃ10選にならないので、残る9曲をご紹介しましょう。
2. カルテット・エレクトロン「地球上で一番すてきな都」(ソ連)
次はガラリと趣向を変えて、ビートを利かせたアップ・テンポのナンバーをご紹介しましょう。
西側諸国でサーフ・ミュージックやザ・ベンチャーズらのロック・インストゥルメンタルが広がった当時。これに対し、ソ連は「敵性音楽」の規制や禁止一辺倒だったわけではありませんでした。むしろ、国家のお墨付きの範囲内で自前の音楽文化を容認、その中で自国製のバンドが相次いで登場したのです。
そのひとつが、こちらの4人組「エレクトロン」(のちに「新エレクトロン」に変更)で、西側のカバー含め、ソヴィエト・サーフの数々を送り出しています。この曲などいかにもなサーフ・ミュージックですが、レコードを見るとこの時代でも古いはずの78回転っぽいのがご愛嬌。
またこの曲、アゼルバイジャン出身の人気歌手ムスリム・マゴマエフが頑張ってツイストで歌った録音もYouTubeで聴けるのですが、それを聴く限り、タイトルはソ連、ってか第二世界の首都モスクワを歌ったもの。えっ、モスクワに海ないだろ?知らんがな。
3. ウッチ・ラジオ・テレビ楽団「オブラディ・オブラダ」(ポーランド)
タイトルを見てまさかと思った方、そのまさかです。ご存知ビートルズのヒットナンバー、あの「オブラディ・オブラダ」のアレンジです。えっ、著作権?知らん。←ホントにどーなってるか分からない
ただ、冒頭を聞いただけでは、どこがオブラディ・オブラダなんだと不思議になることでしょう。しかし、すぐにちゃんとオブラディ・オブラダになります。もっとも、途中でまたすっ飛んだことになるので、その辺は覚悟しておいてください。
ちなみに、動画はこの曲を収録したアルバム"String Beat"をフルで流すものです。なので、放っておくとこの曲だけで終わらずに、最後の曲まで流れてしまいますのでご注意を。といっても1曲だけですけどね。
いや、お聴きになりたければそのままで全く問題ありません。そう、全然構わないんですよ?
4. ポズナニ・ラジオ・テレビ・エンターテインメント楽団「展覧会の絵」、ポーランド
タイトルを見てまさかと思った方、今度もそのまさかです。言わずと知れたムソルグスキーの展覧会の絵です。ただし、ディスコ・ヴァージョンです。展覧会の絵と言えば、ラヴェルのオーケストレーションをはじめ、幾多の魔改造の被害者、アレンジの素として知られていますが、なぜかポーランドのオーケストラがディスコ化してしまったのです。
いくらなんでも30分ぐらい踊り続けるのはムリなのか、曲はかなり短縮されています。一方で、ところどころ原曲にはない盛り上げ方があったり、バーバ・ヤーガでの謎の転調など、聴きどころには事欠きません。
そしてこの曲を収録したアルバム、A面の最後では何とストラヴィンスキーの「火の鳥」すらディスコ化しているのです。こんな奇盤、歴史の彼方に捨て去るにはあまりに惜しいじゃありませんか。
5. ギュンター・ゴラシュ楽団「そんな風に見られると」(東ドイツ)
鉄のカーテンのすぐそばに位置し、しかもドイツ分断国家の片方、何かと西側との対抗に迫られた東ドイツ。事情は音楽でも同様だったようで、ロック、ポップス、ジャズ、ラテンなどの音楽が、国家の禁止・規制と容認の間で花を咲かせました。
ここで取り上げるのはツイストの1曲です。ヴォーカル入りのヴァージョンもありますが、あくまで主旨に沿ってインストゥルメンタル版をリンクしました。
ちなみにこちらと、俳優・歌手Rolf Herrichtのヴォーカル・ヴァージョンは、どちらもCDアルバム「Twist in der DDR(ドイツ民主共和国のツイスト)」に収録されています(mp3版はこちら)。後者はドイツ語を学んでいない私でも分かるユーモラスさで(なので上記のタイトル邦訳は機械翻訳から改変しています)、これもこれで一聴の価値はあります。なお、当方はCDの方を買って持っています。
6. ブダペスト放送楽団"Alone in the Clowd"(ハンガリー)
共産インストゥルメンタルの中には、西側に「輸出」されたものもあります。中でも私がよく聴くのが、イギリスのレーベル「アポロ・サウンド」が相次いでリリースしたブダペスト放送楽団、ポーランド放送楽団による一群の演奏です。
これらのナンバーは、しばしば「ライブラリー・ミュージック」、あるいは「テスカード・ミュージック」というジャンルに入れられます。前者は映画・ラジオ・テレビ等の所謂BGMで、後者はテレビ放送の休止時、特に放送開始前の試験放送時に使われる音楽です。3,40年前の日本のUHF局でもありましたよね、放送開始が遅かったり昼間に休みになったりするの。そういう時の音楽です。
これらは実用音楽で、アーティストによる自己表現としての作品よりは、ともすれば低く見られがちです。ところが探してみると、BGMだけあって、心を落ち着かせてくれたり、中には魂に訴えるような作品に出会うことだってあるのです。
ここで取り上げたのは後者の代表です。張り詰めた空気の中、エレキギターの叫びと対照的なコーラングレ(イングリッシュ・ホーン)のナラティヴが強いインパクトを与えるナンバーです。
ただそれだけに、良い意味で聞き流すのはちょっと難しい気もするんですよね。これホントにライブラリーなのかなぁ。
なお、ライブラリー・ミュージックについては、下記リンク先の投稿も参考になります。
7. ポーランド放送楽団"Now Or Never"(ポーランド)
テストカード・ミュージックからさらに1曲。しかも英BBCのテストカード(コンピレーション・アルバムにも収録されています)ということで、英語タイトルをそのままにしています。
先述のアポロ・サウンドによるLPで、ブダペスト放送楽団とのカップリングで登場するのが、ポーランド放送楽団です。ブダペスト放送楽団が割合「攻めた」曲が多ければ、こちらはまとまった感や落ち着いた感がある、というところでしょうか。もちろん、どちらが上でどちらが下でというものでもありません。
そして、落ち着いた感と言えば、ここでお送りするナンバーなど最たるものでしょう。ボサ・ノヴァのリズムと軽快なテンポ、それでいて盛り上がり過ぎたり熱くなったりはせず、コーラス主体の音楽はスタイリッシュに流れていきます。
それにしても、こういうコーラスによるイージーリスニング、70年代から80年代初頭ぐらいまで、日本にもあったような気がしてなりません。
8. G.ローゼンベルグス「ディスコ・ロゼ」(ラトヴィア)
バルト海を挟んで北欧諸国と直面するエストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国。海の向こうからさまざまな音楽が飛んで来る中で、それらのカヴァーも含め、独自のジャズ・ポップス・ロック・フォークから電子音楽等々、多彩な音楽文化が開花しました。
ここでは当時のクリップをご覧いただこうと思います。海辺で演奏するのが、ラトヴィアのジャズトランぺッター、G.ローゼンベルグス。
さらに軽快な音楽と共に海やダンスのシーンが登場しますが、踊る若者たちのTシャツを見ると、ヨットの写真のプリントや、胸に"Olimpia 80-Talinn"の文字。
ここでピンと来た方もいらっしゃることでしょう。オリンピア、80。そう、1980年のモスクワ五輪です。当時のヨット競技がエストニアの首都タリンで行われたのです。
動画のタイトルを見る限り、クリップが公開されたのは1980年とのこと。それだけに、このクリップから当局の宣伝の意図を読み取ることも的外れではないでしょう。
となると、最後の拍手にもどこか薄ら寒さを感じますが、それでも音楽は音楽、というのも、これまた否定すべきでないことです。党・政府の路線と個人表現、そして社会の意識。それらの間で揺れ動きながら、当時のポピュラー・カルチャーは展開していったのです。
9. バヤン・モンゴル・ヴァラエティ・グループ「ジャラム・ハル」(モンゴル)
社会主義モンゴルはポピュラー音楽の終着駅。というのも、モンゴルは中ソ対立当時、ソ連側の忠実な衛星国であり、そのモンゴルにソ連経由で入ってきた音楽文化は、さらに先へと進むことはできなかったのです。
そんな当時から現代に至るまで、半世紀にわたってモンゴルのポピュラー音楽シーンを支えてきたのが「バヤン・モンゴル」。英語ではバラエティ・グループと記されていますが、要はジャズ・バンドの一種と思っておけば大丈夫でしょう。
そして、バヤン・モンゴルが自らの名を冠して出したLPのうち、最もモンゴル色が強いのがこの1曲。訳すなら「黒い馬」ぐらいです。
もともとは馬頭琴(モリン・ホール)で演奏される同名の定番曲のアレンジは、原曲にある駿馬の嘶きと疾走はそのままでありながら、いかにも70-80年代のジャズ・バンドにありそうな一品となっています。それこそ、「8時だョ!全員集合」のバック・バンドが演奏していても違和感がないと思うのは私だけでしょうか?
10. ヴィチスラーフ・ミシェーリン電子アンサンブル「ゼムリャンカ」(ソ連)
共産主義の実現という未来に生きようとした国、ソ連。音楽の領域でも電子楽器テルミンの発明やアナログシンセサイザーをはじめとする電子楽器の開発等々、いち早く電化を国是に掲げた国家の威信をかけた音楽の電化(?)が進められました。
そして登場したのが、電子音楽のパイオニア、ヴィチスラーフ・ミシェーリン*3です。彼が率いたアンサンブル(オーケストラ)は多種多様な電子楽器を用いたもので、かつオリジナルから東西の定番曲のアレンジまで、レパートリーの幅広さを誇りました。中には、定番は定番でも電子音楽のスタンダードたる「ポップコーン」や、なぜか舟木一夫の「高校三年生」まであるのです。
ここではアンサンブルの演奏を見ることのできるカラー版のミュージック・クリップをご覧ください。多種多様な電子楽器、それでいて演奏するのは哀愁漂うロシア音楽。そしてタイトルのゼムリャンカとは半地下の簡易な小屋や塹壕だそうで、電子音楽の未来的なイメージとはだいぶ違います。
タイトルによれば、このクリップは1984年のもの。既に当時ソ連の停滞は覆うべくもなく、目指す未来と足元の現実のギャップは露わとなっていました。
そして翌年登場したゴルバチョフ元書記長による建て直しも功を奏さず、10年もしないうちに東側ブロックは消失します。
ただ、後に残された音楽やさまざまな文化的所産は、あるいは往時へのノスタルジーをかきたて、またあるいは今とは異なる世界への関心を誘いながら、今も旧東側内外の人々に愛されているのです。
なお、本エントリ作成に際しては、リンク先の各動画・サイトのほか、下記の文献を参照しています。