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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

高知県西部だいたい縦断の旅(6) 雲の上から維新の門再訪

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 雲の上のホテルで朝を迎えました。窓の外には雲海の残滓が見えています。ただ冷え込んでいるのは分かり切っているので、窓を開けるのはためらわれます。

 

 

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 まずは朝ご飯。旅先ですからしっかり食べないといけません。

 

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 しゃきっとしたところで、館内を歩いてみます。

 昨日も通ったギャラリーから温泉への通路、全面木材の中で障子が和を主張しています。

 

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 ギャラリーへ。20年近く前の時期に、通路を全てスロープにしていたのは先見の明と言えそうです。

 

 

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 一方の中庭は、波紋が還って静寂さを表しそうな池の上に、これは小さな舞台と言えば良いのでしょうか。この上で何か演じるには、行き来ができなさそうなのですが。

 さて、今日はここから梼原町の中心街を再び回って、その後は県西部を一気に南下します。

 

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 まずは構造改善センターに来てみました。昨日見た維新の門を、もういちど見ておこうと思ったのです。

 

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 同じ画像を上げるのも何なので、群像を後ろから。視線の先には脱藩に向けた道、伊予から瀬戸内を経て、彼らが見据えていた日本という国、そしてそれを取り巻いてきた世界までつながります。

 

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 維新の門の碑文。書かれている通り、ここに建つのは新たな時代を求めながら、そう希求したことによって、その時代を迎えられずに斃れていった8名の像です。

 

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 群像の建立趣旨と関係者・寄付者一覧。

 碑文が建ったのが1995年ですから四半世紀と少し前のこと。往時から120年余り後、つい最近になって現れた「幕末史」の象徴ということになります。

 

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 構造改善センターに上り、現在の梼原を眺めます。

 文久・慶応の世はもちろん、戦後とも似ても似つかず、大きく変わった街の姿です。

 

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 なので、「志士」と称される者たちの目に映った檮原を想像することは、私にはできない話です。むしろ自分の仕事を考えたとき、視線が専ら向かうのは「いま」の地域そのものになります。

 歴史についても、関心は「いま」の人々が過去をどう物語っているのか。幕末にも限らないのですが、his(「男性」3人称単数の)・story(物語)というひねりのない読み方が、こういう歴史の表象を見ると妙に抗い難い実感をもって迫ってくるものです。

 

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 昨日訪れた雲の上の図書館や、マルシェユスハラのある辺り。時間はあるので、もう少し探ってみたいところです。

 

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 維新の門に戻ります。こちらが8名の列伝。

 奥では工事をしていますが、公園の拡張か何かでしょうか。子どもが遊んだり大人が休息できるスペースができるのなら歓迎です。

 というので、こちらやさきほどの碑文、建立趣旨など、像以外にいろいろ立っているのも維新の門の特徴といえば特徴なのですが、

 

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 あぁ、誰か上がっちゃったんだろうな。上がって怪我しちゃったんだろうな……

 たぶん、そいでこんなものまで立っちゃったと。

 

 展示物には敬意をもって接しましょう。