原著論文「モンゴル国民は『移行』をどう評価したのか―Life in Transition Iのデータ分析から―」が『日本モンゴル学会紀要』第50号に掲載されました。
今回掲載された論文は、2018年11月に東京で行われた「第2回国際モンゴル学会アジアン・セミナー」で行った研究報告と、その際の議論を基にしたものです。
この論文では、モンゴルが社会主義体制を放棄してから30年の節目を迎える中で、民主化や市場経済化による変化をモンゴルの人々がどう評価しているのかについて、国際調査データの分析から検討しています。具体的には、「経済」「政治」「生活」「腐敗」という4つの側面に関する設問への回答結果に着目し、分析の結果から議論を試みています。
ここで使用したデータは2006年に収集されたものです。既に10年以上も前のデータですし、より直近のものがあれば、もちろん使用したかったところです。
しかしながら、残念ながら分析可能なデータは、少なくとも私が知る限り公開されていません。そもそもデータが収集されていない可能性が大で、こればかりは仕方なかったところです。
とはいうものの、当時と今とでの共通点も確かにあります。拙稿との関連で言えば、民主化後の腐敗に対するモンゴル国民の厳しい見方は注目されるべきでしょう。
実は、モンゴルではこのところ、腐敗のかどで首相・閣僚経験者や国会議員らの逮捕が相次いでいます。6月には国会総選挙の期間中に複数の立候補者の逮捕が相次ぎました。最近ではそれらの逮捕者に対する有罪判決も続々と出されています。中には、逮捕された後にトップ当選が決まり、さらにその後で有罪判決を受けた前首相もいたりします。
ただ、このような動きに対して、社会の反応はほぼ見られません。COVID-19でそれどころではない、というのもありそうですが、当事者周辺を除いた動きがほとんど見えてこないのです。
モンゴルは1920年代から30年代にかけて、首相を含む大物政治家が、ソ連の意向もあって逮捕・処刑されてきた歴史を背負っています。それだけに、この事態には懸念を示す声が上がっても良さそうなものですが(その当否はさておき)、それも僅かしか確認できません。
なぜなのか?仮説はいくつも考えられるでしょうが、民主化以来ずっと繰り返されてきた疑獄や腐敗に、国民が辟易していたことは十二分に考えられます。そのようなモンゴル社会の意識を理解する上で、拙稿が少しでも助けになれば幸いです。
【2021.4.2.追記】
日本モンゴル学会ウェブサイトでPDF版が公開されました。
今回の論文はこちらからもお読みいただけます。ぜひどうぞ。