久しぶりにツォンジン・ボルドグのチンギス・ハーン像にやってきました。が、この後ウランバートルに戻ってレセプションに出ないといけません。滞在時間がかなり限られているので、足早に像の方に向かいます。
正面ゲートからの大階段は本格的に崩れてしまったらしく、通行止になっています。そもそもメンテナンスをどこまで考えて作ったんだろうとか、寒くなれば工事も難しいし、今修復できなかったらどうするんだろうとか、いろいろ考えます。
今回は久々に像の内部に入ることにしました。正面にはモンゴル文字でチンギス・ハーンの名言が記されています。で合ってますよね?
多分世界一大きいモンゴル式のブーツ。何か乗っていると思ってみてみたら、お賽銭でした。しかしどうやってのっけたのかは謎です。
像の中のエレベーターと通路(細い!人一人通るのがやっと)を抜けて、展望台に来ました。馬上から周囲一面の草原を一望するのです。
振り返れば馬上のチンギス・ハーン。写真を撮ろうとしたら逆光になってしまいましたが、個人的にはかえってカッコいいんじゃないかと、気に入っています。
で、今回の滞在終了!これからウランバートルに戻ります。
時間にしたら30分程。でも、たったそれだけでもいいから、平原の風と草の匂いの中に身を置きたかったので、満足しています。
帰りは来た回り道を戻ります。ナライハの街に入ると、「原料・肉買います」という看板や、「カシミア・たてがみ・しっぽ買います」等々が柵に書かれています。市場経済化が始まって30年、家畜生産物の流通機構も発達しているはずなのですが、昔ながらの(?)買い付けと言うか引き受けもまだ残っているようです。
ナライハ地区の大きな交差点に差し掛かりました。案内標識には「ザミーン=ウードーナライハ」と書かれています。ザミーン=ウードはモンゴル南端にある中国との国境の街、これを見ただけで距離の感覚が一気に変わります。しかし、一応ザミーン=ウードまで舗装されてますよね?
そしてナライハを抜けて走っていくと、草原でバスは停車。何かと思ったら、踏切に引っ掛かったようです。
2両で一組の機関車が貨物列車を引っ張ります。コンテナ輸送に切り替わった日本ではすっかり見なくなった無蓋貨車が連なっています。
モンゴルの鉄道は今も貨物輸送が主体。単線で走らせられる列車の数も限られるので、それぞれの列車はいきおい長大編成になります。
当然ながら、その分踏切の待ち時間も長くなるのですが、日本では見ることのできない風景。たまに旅する分には、むしろラッキーにすら思えます。
ようやく列車の最後尾が見えてきました。
ふと思ったのが、この列車には車掌車がついていないなと。かつての日本の貨物列車では、最後尾に車掌車が付いていて貨車のブレーキをかけたり、貨車や積み込んだ荷物を監視する乗務員が乗り込んでいたのです(今も完全になくなったわけではないですが)。
ただ、この列車を見ると、どこにも乗務員の乗り込めそうな車両が見当たりません。ブレーキは機関車からかけられるのかも知れませんが、とても速度の出そうな列車ではないですし、大丈夫だろうかとはふと思います。
踏切を渡った列車が、ゆっくりと坂を下ります。これからウランバートルに向かいまで、少なくともあと峠1つは越えないといけません。
機関車に連なる貨車の隊列。これぞ大陸の幹線鉄道です。
ようやく列車が踏切を渡り切りました。この列車よりは先にウランバートルに着けるでしょうか。
ウランバートルの南、ボグド山を避けて南を走っていると、突如建設現場が現れました。聞くと大仏を建立しているとの話。どうも以前構想が出たのにポシャったマイダル・シティかも知れません。
(参考)
最近の報道で構想がふたたび持ち上がったのは読んでいたのですが、まさか本当に建設が再開されていたとは。いや、本当に再開されてはいないのかも知れませんが。
ゾーンモドまで戻って来ました。ここからボグド山の周囲を西周りで走って、ウランバートルを目指します。
さらに進むと、緑のガードレールが見えてきました。モンゴルでは幹線道でもポールしか立っていないところがほとんどで、ここまでガードレールが連なるのは異例です。
さらに奥には鉄条網が張ってあります。私が知る限りのモンゴルの道路では、あり得ないほどの設備です。
坂を登ったところで、道路自体が見えてきました。
これはモンゴルで初めての高速道路。ウランバートルと新空港を結ぶもので、先日開通式典が行われたばかりです。
ただ、式典はできたものの、肝心の新空港がまだ完成しておらず、高速道路はまだ封鎖されたまま。この道路を多くの車が行き交うようになるのは、まだ先の話です。
そうするうちに、すっかり外は夕暮れ時。バスにも車内灯が灯りました。って、車内灯ってレベルじゃないですねこれ。
ウランバートルに入る辺りから、道路は案の定の大渋滞。レセプションにはかなり遅れて参加することになりました。もっとも、この辺は草原まで行かなかった参加者も織り込み済。2日間のシンポジウムは、盛会のうちに終わりました。
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