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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

NHK交響楽団第1906回定期公演に行ってきました(1)甦る悲劇の俊英、ハンス・ロット

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 日本で2日連続、2つのオーケストラがハンス・ロットの交響曲第1番を合わせて3公演!まさかの祭典が実現してしまいました。もっとも当方は折悪しく仕事が重なってしまったのですが、それでも何とか1公演のみ聴きに行ってきました。

 

 

 ……と書きましたが、大方の読者の皆様には、ハンス・ロットも、ましてその交響曲第1番という作品も、「???」という感じかも知れません。実際、どちらも1世紀以上の間忘れられてきた存在でして、いまだ知名度が低いとしても仕方の無いことです。

 しかし、ロットの作品、とりわけ代表作である交響曲第1番は、再発見から徐々に演奏の機会を得るようになり、その強烈な魅力のとりことなった人も少しずつ増えています。特に、日本では寺岡清高氏と大阪交響楽団交響曲第1番をはじめロットの作品を再三演奏しており、ロット受容史において決定的な役割を果たしています。

 そして、そのロットの交響曲第1番を、神奈川フィルハーモニー管弦楽団NHK交響楽団が合計3公演、2日連続で行うという、夢にも出ない機会が実現、ファンの間では「ハンス・ロット祭り」として話題になりました。ただ、折悪しく仕事が重なってしまい、3公演のうち2つは断念(神奈川フィルの皆さんごめんなさい……)。何とかN響の1公演に足を運ぶことができました。

 ちなみに、「仕事」とはこちらです。これはこれで二度とない第1回(2回目以降あるよね?)の記念すべき会で、参加できて本当に良かったんですけどね。

 

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 話を戻して、「祭り」まで起きたというハンス・ロットの交響曲第1番、はたしてその何が、人々の心を捉えるのでしょうか?

 まず思いつくのは、夭折した不遇の作曲家による幻の作品だから、というものでしょう。おそらく、このキャッチフレーズがあればたいていの作品は美化できます。さらに、さまざまなドラマを「盛る」ことだってできるでしょう。

 ただし、この作品に盛られるドラマは悲劇です。ロットの人生こそが、まさに救いのない悲劇だからです。彼は1858年に私生児として生まれ、10代で両親を失い、苦学の末ウィーン音楽院を卒業してからも職に恵まれず、貧苦に喘いでいました。交響曲第1番が書かれたのはこの時期、音楽院在学時から卒業後にかけてです。

 ロットはまず、第1楽章を書き上げ、卒業生を対象とするコンクールに提出します*1。しかしそれは審査員の嘲笑の的となりました(師ブルックナーだけは敢然と彼を弁護したのですが)。それでもロットは残る3つの楽章を完成させ、この曲に自らの将来を託し、売り込みを図ります。

 しかし、演奏機会を求めてブラームスを訪問したことが、文字通り致命的な失敗となりました。ロットが心酔したヴァーグナーブルックナーらと対立関係にあったブラームスは、この作品を酷評したばかりか、盗作呼ばわりの言葉すら投げつけたのです。そしてなおも交響曲の演奏機会は訪れず、失意のうちにロットの精神は蝕まれていきます。

 そして、ようやく見つかったポストはウィーンを遠く離れたミュールハウゼン(当時ドイツ領、現在はフランス領ミュールーズ)の合唱指揮者。ロットはウィーンを離れる不安と崩壊する精神に苦しみながらも、その職を受け入れましたが、ウィーンからミュールハウゼンに向かう列車でついに彼は発狂、「ブラームスが列車にダイナマイトを仕掛けた」という言葉とともにピストルを振り回す事件を起こします*2

 この事件の結果、彼はウィーンの精神病院に収容され、回復の見込みなしとの宣告を下されます。さらに鬱をも患ったロットは自殺未遂を重ね、1884年、最後は結核により、26歳に満たない人生を終えたのです。

 ……と、書くだけでも気分が塞がるロットの人生ですが、交響曲第1番はそのような暗さとは真逆の、あくまで明るさに満ちたホ長調の作品です。夭折した悲劇の主人公が、それでも将来を信じて遺した作品、さらにそれが忘却から1世紀以上もの空白を経て甦ったわけですから、ドラマ性は盛りに盛ったり。これだけで、どんな作品でも傑作に思えてくるかも知れません。

 とはいえ、多くの人々が述べている通り、交響曲第1番には技術的な問題や限界がいくつも残っており、若くして世を去ったロットには、自らの作品を修正する機会は与えられませんでした。それだけに、遺された作品は粗の目立つものでもあり、完成度と言う点で、芳しくない評価を目にすることもないではありません。ですが、そのような評価は、この作品がそれでも熱烈に愛され、演奏されるようになったという事実を説明できません。

 だとすれば、あまりにも若書きながら、それでも人々を捉えて離さないこの曲の魅力とは何か?むろん答えは人それぞれでしょうが、私はこの曲を録音したCDに解説を寄せたアダム・ゲレンの言葉、「若き作曲家の野心と才能が私たちに与えてくれる驚き」、この言葉を挙げたいと思います*3

 では、その野心とは?ゲレンは詳しい解説を与えていないので、私に言わせていただければ、当時ロットが影響を受けた、ときに対立する様々な要素を、交響曲という有機的な統一体としてまとめ上げようとしたことでしょう。

 実際、この曲からは、様々な作曲家を連想させる要素を聞き取ることができます。思いつくだけでも、調性こそ違え、ブルックナー交響曲第3番を髣髴とさせる第1楽章の第1主題(N響のパンフレットではスイスの作曲家ヨアヒム・ラフの作品の影響も指摘されています)、マーラーを予言したかのような第2楽章と第3楽章、ベートーヴェン「第9」の手法からブラームス交響曲第1番を明らかに意識させる第4楽章、そして全体に通じるヴァーグナーの響き……他にも挙げることは可能かもしれません。

 とりわけ、ヴァーグナーブルックナーブラームスの双方の名前が出てきたことは重要です。先述のように、当時この両者はあらゆる点で相容れない存在でした。ロットのこの作品は、それらの止揚を試みたものであり、その点で間違いなく野心的なものなのです。

 ただ、この作品は過去の作曲家の作風を盛り込んだだけのものではありません。オルガニストとしての経験を反映した重厚かつ対位法的な響き、第1楽章第1主題を用いて全曲を統一する試み*4、そして最後の最後にその第1主題が輝かしく回帰してから、冒頭の冒頭と同様に静けさの中に戻っていくさまは、当時としては斬新そのものであったと想像されます。その斬新さがロットへの無理解へとつながったのかも知れませんが……

 付言すれば、この作品がマーラーに影響していたことも見逃せません。マーラーは、ロットの死後もこの作品の譜面を参照し、さらには演奏の機会をも窺っていました。ロットの交響曲第1番を知ってしまえば、彼との精神的なつながりを公言していたマーラーの作品に、音楽的なつながりをも容易に見出すことができます。そして、ロットがこの作品を完成させたとき、マーラー交響曲は、1曲たりとも影も形もありませんでした。マーラーはロットが力尽きて倒れたところから、その交響曲を発展させていったのです。そうできるだけの要素が、ロットのこの作品にあったのです。

 ここまでさらっと書くつもりが、予想をはるかに超えて長くなってしまいました(汗)。ただここまで読まれた方なら、ロットの交響曲第1番がどれほど魅力的なものか、感じていただけたのではないでしょうか。確かにこの作品には少なからぬあらがあります。ただ同時に、彼が大成していたならば、どれほどの傑作を遺しただろうかと思わずにはいられない、それだけの片鱗を感じ取ることも可能なのです。

 その点で、ロットの交響曲第1番は、叶わなかった未来に常に開かれています。そして、その未来とは無限のものです。彼の生涯に何の縁もない、あるいは彼が全く知らなかったかも知れない東洋の島国で、ロットの音楽が花開くのも、当然その無限の中に含まれることです。

 

 ここまでサラッと書くつもりが、あまりにも長くなってしまいました。実際の演奏の話は別エントリになるだろうなとは思ってましたが、ここまで書くことになるとは(汗)

 というわけで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の演奏については、後篇にて。

 

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*1:その後改訂されたため、現在のものとは異なります。

*2:そのせいで、神奈川フィルの演奏会場がある横浜みなとみらいからNHKホールのある渋谷までの電車にも、あらぬ疑いがかけられたと聞きます(ぇ

*3:ハンス・ロット:交響曲第1番&管弦楽のための組曲変ロ長調パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団)曲目解説より。

*4:同種の作品としてチャイコフスキー交響曲第5番が挙げられますが、作曲されたのはロットの死後です