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地域系学部というのに加わった大学教員による高知発モンゴル発のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

読売日本交響楽団定期演奏会でロット「交響曲第1番」を聴いてきました

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 2019年、没後135年の時を超えて、東方の島国で突如始まったハンス・ロット祭り。2月の神奈川フィルとN響に続いて、9月には読売日本交響楽団がロット演奏の権威ヴァイグレの下で交響曲第1番を演奏。幸運にも聴きに行くことができました。

 

 

  ハンス・ロットという作曲家については、以前のエントリで書き過ぎるほど書いたので、ここでは繰り返さないことにします。そのエントリはこちらです↓

 

www.3710920.com

 

 今回指揮を執るセバスチャン・ヴァイグレは、ロットの作品を世界に紹介してきた功労者の一人。もちろんCDも出していて、堅実に作品を描き切った演奏と詳細なライナーノーツから、ぜひとも備えておくべき一枚となっています。

 
ロット:交響曲第1番

ロット:交響曲第1番

 

 

 そのヴァイグレが、今年から読売日本交響楽団の第10代常任指揮者に就任。当然ながら、彼が使命とするロットの作品の演奏も期待されたところ、今回定期演奏会のプログラムに組まれたのです。

 

■ 第591回定期演奏会プログラム読売日本交響楽団

yomikyo.or.jp

 

 実は、長年クラヲタをやっておきながら、サントリーホールに行くのは今回が初めて。そういう点でもわくわくしながら演奏会に向かいました。

 プログラムは2曲。オープニングはプフィッツナーのチェロ協奏曲です。実は同名の作品が2曲あるのですが、こちらは1888年に書かれたものの、長らく埋もれてきた作品です。

 正直なところ、プフィッツナーに関してはこれまで聴く価値を感じたことがありませんでした。単に保守的な作風ならまだしも(新奇的かどうか微妙でも聴かれるべき名作はいくらでもあります)、彼の人生を通じて露呈する頑迷さや反動性から、限られた人生の中で、彼の作品に時間を費やす価値がまるで見つからなかったのです。 

 ただ、今回聴いた若書きの作品については、これがプフィッツナーなのかと思うぐらいの清新なものでした。形式こそ古典的な3楽章ですが、チェロの独奏も旧来のもの(長い前振りの後から登場して弾きまくっていったん休んでからカデンツァ)とはだいぶ異なりましたし、こういうのが書けたのか、という発見がありました。まぁ若い頃の作品ですし、曲目紹介にも「後年の晦渋な作風がまだ現れずに」と書いているので、これでプフィッツナーへの評価自体が変わることはないとは思いますが。

 そしてハンス・ロットの交響曲第1番。金管楽器にかなり負担のかかる作品なので、特にトランペットはアシスタントの演奏者とかなり細かく分担して演奏しています。演奏箇所を決めるのに相当時間がかかったかも知れないな、と、ちょっと脱線した感想を覚えたりもします。

 ただ、そこまで綿密な(?)準備をしたのが功を奏してか、演奏は期待通り堅実で、かつ感動的なものでした。第2楽章のティンパニ重奏トライアングル付の難所も、第1ティンパニ奏者の工夫で難なく乗り切ります。

 「堅実」というと、大人しい演奏のように思われるかも知れません。ですが、狂気の片鱗を見せるところでは確実に見せる、というのも堅実さの条件です。第3楽章は特にそれができていたと思います。楽章が終わった直後の静寂で、むしろこんなにオーケストラが鳴り響いていたのかと驚いたぐらいですし。

 そして最終楽章、圧巻のコーダから静けさを取り戻した終結。ヴァイグレのタクトが止まります。しかし腕は下りません。まだ拍手もありません。ヴァイグレもオーケストラも聴衆も、まだ余韻の中にいます。まだ、まだ終わらない。緊張感がホールを覆います。

 そして、ヴァイグレが腕を降ろしました。次の瞬間に万雷の拍手とブラヴォーの声。ヴァイグレが順に奏者を紹介していきます。重要なソロを吹き切ったトランペット奏者が、後ろのトロンボーン奏者から握手を求められます。近くではホルン奏者どうしも握手しています。やり切ったという充実感が伝わってくる光景でした。

 

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 ちなみに、チェロ協奏曲終了後のアンコールはこちら。プフィッツナーのチェロ協奏曲は佳作ですがソリストが大見得を切る場面には乏しく、アンコールがその埋め合わせになったような感じです。