代行バスの時間まではまだあるので、近くを歩いてみることにしました。お店でもあれば、昼ご飯とお酒でも調達したいですし。
そう思って歩いてみたのですが、お店やコンビニらしきものは見当たりません。駅にもNEWDAYSはないですし、もう少し歩き回ってみないといけません。
駅の駐輪場。休みの朝ということもあるのでしょうが、自転車はまるでありません。
駅前にあったバス停。時刻表ははがれています。待合室はあるのですが、肝心のバスがいつ来るか、本当に来るのかは分かりません。
大震災の爪あとが残る街。世間では6年1ヶ月あまり前の災害でも、ここでは2011年3月12日から2017年3月31日までの間が空白だったのです。地域として、ここは大震災から1ヶ月も経っていないのです。
スーパーの跡らしい建物。空いていればここで昼ご飯とワンカップでも買っていたのですが、それは叶いません。もっとも、ここが大震災の前まで開いていたのか、それ以前から閉店になっていたのかは分かりませんが。
建物の周りには立ち入り禁止のテープが張られています。ただ、国土交通省や復興庁のものかと思いきや、環境省のテープだったことに意外感を覚えました。建物自体に倒壊の危険があるのか、あるいは……
さらに歩いてみましたが、やはり営業しているお店は見当たりません。あるのは、店の跡と、やはり黄色いテープです。
テープとともに各所で見られたのが、解体中の水色の幟でした。まだ建物を解体しているのか、と思ったのですが、あとから勘違いに気づきました。「やっと」解体できるのです。
ふと見上げると、電柱に広告が取り付けられていました。東北電力の広告は、ここのみならず、そこらじゅうの電柱に掲げられています。
「東京」電力福島第一・第二原子力発電所。しかしここ、福島県浜通りは東北地方です。長らく地域住民に電力を供給し続けたのも、東北電力だったのです。こんな簡単な事実に、なぜ気づけなかったのか。いや、考えてみれば報道等で今までもさんざっぱら見聞きして知っていたはずです。なぜここに来るまで、ちゃんと認識できていなかったのか。なんか(考えが)浅いな、というのを思い知らされました。
それとともに、自分たちでは使わない/使えない電力を首都圏のために供給し続け、それにろくな感謝もされてきたかも怪しく、そのあげく得たものが、原発事故の被害ばかりか、蔑みと嘲り、忌避と差別、という現実が、あらためて私の目の前を覆いました。
同じ日本人。絆。言うほうは簡単です。思い込むのも同じぐらい簡単です。
しかし、その思い込みの陰に現実があります。
ALL ANIMALS ARE EQUAL
BUT SOME ANIMALS ARE MORE EQUAL THAN OTHERS.「全ての動物は平等である。
ただし一部の動物はより平等である」
(ジョージ・オーウェル『動物農場』第10章、邦訳は『実験記録 No.02』より引用)
裏を返せば、OTHERS ARE LESS EQUAL~「他の者」はより平等ではない~ということ。
ふとこの言葉が頭をよぎると、静かな怒りがこみ上げてきました。
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