2学期から本格的に実習を行った大豊町怒田集落。6月半ばに初めて行く機会がありました。
麓の集落から1車線の急な山道を登っていきます。両側は生い茂る杉林、人影どころか集落のある気配もありません。
どこに連れて行かれるのか、と恐ろしさすら感じかけていたところ、突如視界が開け、目の前に田畑や家屋がいきなり現れました。怒田集落です。人口は100人を切って久しく、平均年齢も70歳を超えたという、「限界集落」の言葉発祥の地を体現するような集落です。
ところが、いきなり現れたのがこの看板。
そして、「となりのトトロ」に現れそうな風景。怒田集落に路線バスは通いませんが、これならネコバスが来ても不思議はありません。なんだこりゃ……驚きとともに不思議な感覚が湧いてきます。
さらに車は進んで、集落の中へと入っていきます。
車を降りてふと周りを見渡して、こんな山の上に来ていたのかとさらに驚き。杉林の中の坂道を走っていても、坂が急なことは分かっても、標高差がまるで実感できていませんでした。
この集落から登って来たのです。標高差もそうですが、距離的には離れているようには思えません。つまりは、とんでもない上り坂を一気に駆け上がってきたのです。
同じような集落が、山ごとに広がっています。高知県=海のイメージは、もはや崩れ去りました。
ただ、山地な上に降水量が多いということで、地滑りの危険はどうしても伴います。
国が地滑りの観測システムを作っているようです。
集落の製材所を訪れました。
丸太が並んでいます。高知の他の山間地の例に漏れず、ここも杉や檜の産地です。
製材所の外に並ぶ木材。外材に押される中、どうやって活用していくのかが課題です。
一方で、集落の人々の生業は農業なのですが、人口減と高齢化で、耕作放棄地も見られます。
ただ、そのような中で、この集落では8年前から高知大学の学生が入り、調査・研究や農作業・地域活動のお手伝いを行ってきました。そしてこれまで私が書いてきたとおり、2学期以降に地域協働学部の学生も実習に入ることになります。
集落の人のお話を聞き、各地を見て歩いた帰り、法面にこんな標語(?)を見かけました。
データ上で見ればまがうことなき限界集落である怒田集落。もちろん耕作放棄地や空き家など、厳しい現実を示すものはあります。
ただ、どうもそれだけではない、不思議な感覚も感じる。これを面白さと言っていいのか何なのか、まだ不思議というレベルの感覚でしたが、とにもかくにも、「疲弊する中山間地」というステレオタイプでは語れないものを感じたことは確かです。