高知県西部を流れるご存知四万十川(渡川)。実は源流地点まで歩いてたどることができます。このほどついに行ってみました。
四万十川源流地点は津野町内にあり、付近まではクルマで行けます。今回は前日に近くで宿をとることにしました。
なお、今回投宿した「せいらんの里」は旧舟戸小学校跡地、満天の星加工所隣に移転しています。ナビが古いと位置情報が更新されていない恐れがあるので、ご注意くださいね。
部屋の外を流れるのは、もちろん四万十川です。
夕食。今回も県民割のおかげで、贅沢させていただきます。
ちょうどうまい具合に、羽釜炊きのご飯のおにぎりまでついてきました。
翌朝、いよいよ源流点を目指します。朝食はイタドリの和え物、よもぎワッフル、羽釜炊きご飯など。さらに地元のほうじ茶の茶粥もお代わりで頂きました。
と思ったら、デザートに満天の星のほうじ茶大福までついてきました。
結構な食べる量ですが、これからカロリーを消費しに行くわけだから気にしない(笑)
さて、朝食後ほどなく出発です。宿からは険道県道を通って山に分け入り、途中で折れて惨道山道を登ること20分超。舗装がなくなるすぐ手前で、源流点への入口にたどり着きます。
源流点への入口です。クルマで来られるのはここまでで、あとは20分以上のトレッキングになります。
源流点への径路のスタート地点。すぐに鬱蒼とした森の中に入っていきます。
入口に立つ四万十源流の碑。宮沢元総理の揮毫によるものです。
石碑建立についての説明がありました。「シ・マムタ」って何なんだと思ったら、四万十の語源とされるアイヌ語だとか。
そういえば、幡多にもアイヌ語源とされる地名があるのですが、私が知る限り、旧土佐国西部とアイヌ文化との接点を明記した文献資料がないんですよね。
この件に限らず、ともすれば実証性より話の面白さが持て囃されるきらいがあるだけに、引っ掛かるところです……
それはさておき、源流点を目指して、渓流に就かず離れずの径路を上がっていきます。
道中は生い茂る木々、苔むす岩も相まって、見ての通りの涼しげな環境です。
渓流はところどころ滝になっています。滝壺の手前を渡って、さらに進みましょう。
源流点への道のりの半分ぐらいに差し掛かりました。途中には大小さまざまな案内があるので、ルートが不安になったら、探してみると良いでしょう。
さらに先へと、沢を渡っていきます。一時期の空梅雨はどこへやら、雨の日も多かったせいか、水が絶えることはまずありません。
途中にベンチが現れました。足元に不安のある訪問者も少なくないでしょうし、休めるところがあるのはありがたいですね。
ベンチの傍らには、源流点が近づいたことを示す案内板が立っていました。いよいよです。
そして2, 3分も歩かないうちに、源流点の標柱を発見しました。
高知移転7年と4ヶ月、ついに四万十川源流に到達しました!
「幹線流路延長一九六kmの流れここに発す」の文言に否応なく感慨を覚えます。これまで公私さまざまな機会で、下流域、中流域、上流域それぞれを見てきた末に、源流点に立つ日が来たのです。
源流点というからには、ここで泉が湧いているのかと思っていたのですが、そういうわけではありません。不入山の各地から湧き出た水がここで合わさって、四万十川となるのです。
というわけで、各所からの水流がひとつにまとまるこの場所こそが、四万十川源流点ということになりそうです。
そして四万十川としての流れを始めた水流は、ここから山を下っていきます。
妙に躍動感がある写真ですが、単に撮影をミスっただけです。
津野町の山道を分け入って分け入ってたどり着いた、盛夏の熱気とは無縁の四万十川源流点。
またひとつ、高知の旅の経験値が無駄に上がった気がしました。