高知県内を走る路線の中で、県内のどの路線ともつながっていない唯一の路線が、阿佐海岸鉄道の阿佐東線。そして、県内の駅はこの甲浦駅ただ一つ。路線の終端にあり、隣の駅はもう徳島県に入ってしまう、孤立した駅です。
高知県内から甲浦駅に行くには、駅周辺を除き、安芸・奈半利から室戸を経由して甲浦まで向かうバスに乗るか、JRで土讃線・徳島線・牟岐線と回らないといけません。後者は各種トクトクきっぷでも使わないとおカネがかかりますし、前者のバスは1日6本。下手な山間地よりも余程行きにくい場所ですが、まずはバスでの訪問を試みました。
室戸岬をぐるりと回り、ようやく着いた甲浦駅。高知県最東端にある阿佐東線の終着駅です。
しかし、これが県内を走り続けた先の終点なら、「果て」という感じもあるのですが、むしろここから路線が始まっていきなり県外に出るわけで、始まっていきなり終わりという、受け止め方にずいぶん困ってしまう駅ではあります。
甲浦駅のホームは高架上にあり、地上から眺めることができます。見ての通りというべきか、線路が途中で途切れた感じが如実に表れています。実際、この路線は甲浦で打ち切られた路線なのです。
この「阿佐東線」とは、旧阿波国と旧土佐国を結ぶ路線の東側区間、という意味です。ちなみに、西側はごめん・なはり線。こちらは正式名称が阿佐西線となっています。
2つに分かれたこの路線は、もともとは阿佐線という国鉄路線としてつながるはずでした。しかし、国鉄再建法により建設は途中で凍結、その後再開されたのはある程度工事に手がついた部分だけで、甲浦から奈半利までの建設計画は消えてしまったのでした。そのため、終点にならない造りだったはずの甲浦駅が、無理に終点になっているのです。
駅のすぐ隣にある八幡宮。よく分からない人間の営みを、どう見ているものでしょうか。
ともあれ、駅舎に入ります。
甲浦駅ができたのは、凍結した建設計画が、第三セクターによる路線引き受けを条件に再開され、阿佐海岸鉄道として海部からの路線が開業した時のこと。既に平成に入ってのことなので、駅はまだ新しいものです。
とはいえ、経年と乗客減、赤字経営続きで、いろいろと苦しい部分も出ています。こちらは観光案内か何かの端末だったのでしょうが、今は電源が落ちたまま。いつから動いていないのやら、という状況です。
甲浦駅は無人駅ですが、昼間は売店が営業しています。ただ、夕方4時近くに再び見てみると、既にシャッターが閉まっていました。
待合室のベンチは、めすらしい畳敷き。思わず寝そべりたくなりそうですが、もっと長居したがる人もいたらしく、駅には深夜・早朝の駅舎締め切りと宿泊禁止の注意書が出ていました。
駅の案内ボードに掲示されていた高知新聞の記事。某大学某学部の特任教授が出ています。
列車の時間も近づいたので、駅舎を出てホームへ。駅前にはクジラのイラストと甲浦の文字がうっすら浮かんでいました。
甲浦駅がある東洋町の観光マップ。キャラクターは特産のポンカンを擬したもののようです。
地図を見ると、駅が市街地から離れているのが分かります。おそらく甲浦での利便性よりも、さらに先に進みやすいように路線を計画したのが仇となった形です。
高架上のホームに通じるのは階段だけ。エレベーターもエスカレーターもありません。高齢化に拍車のかかる地域でこれでは、乗客を増やすのもままなりません。
階段を登り切ってホームへ着くと、周辺の案内が出ていました。
フェリー乗り場への案内は今もありますが、フェリー自体は廃止になってもう10年以上経っています。
世が世なら、ここから室戸、奈半利を経て後免までつながっていたはずの線路。しかし、財政再建、高齢化、人口減から過疎、日本社会の難題が寄り集まって、この先の線路を阻みました。
ここから続くのは、海部から徳島方面への線路のみ。よく見ると信号がありません。この区間は1本しか列車が入れないので、わざわざつけることもないということでしょうか。
その線路の遠くから、列車のライトが近づいてきました。
今では古いタイプの車両となってしまったレールバスが入ってきました。かつて高千穂鉄道で活躍しながら、水害により廃線の憂き目を見た後、四国に移ってきた車両です。
ホームの手前で速度を大きく落として、終点甲浦停車。片手で数えられるほどの乗客を降ろし、折り返しの海部行となります。
本当なら、この甲浦から高知県内のロングランが始まるはずだった路線。それが現実には、路線は高知県に少しはみ出た程度。車両から高知県のイメージは見る影もありません。