東日本大震災以来5年9ヶ月にわたり不通だったJR常磐線の相馬~浜吉田間が運転再開。早速乗りに行ったのですが、それがまぁ、大変な旅になりまして……
東京までは貯まったマイルでひとっ飛び。なのですが、思えばここからがケチのつきはじめでした。各地で吹き荒れた暴風のせいで出発から着陸まで遅れてしまい、宿に着いたのは日付が変わるすぐ前。もっとも、多少の遅れは想定の範囲内ですし、運転再開区間に乗る翌日に向けて、一応宿に入れたので良しとしよう、というところでしたが、その翌日がとんでもないことになったのでした。
翌日、目を覚ましてみれば、本来乗るはずの鈍行は発車した後!一晩中起きておこうかと思ったのですが、ベッドが使われてないと怪しまれるかも知れないな(我ながら、なんでそんなことを考えたのかが分からんのですが……)と、いったん仮眠のつもりで寝たのがマズかった。
ただ幸い、時刻表を見たら後続の特急「ひたち」があるのを見つけました。まだ間に合います。大急ぎで支度をすると何とか特急には間に合って、いわきへ滑り込みセーフ。特急券と運賃は痛いですが仕方ありません。
もっとも、今の「ひたち」は全席指定なのですが、座席未指定券(立席特急券とどう違うんでしょう?)を買えばもう少し安く着いたところ。ただ急いでいたので、券売機の仕様に沿って買ったら指定券付きになってしまい、それは残念でした。金額がどうこうというより、知識があっても現場で使いこなせなかった、ってのが鉄ヲタとして悔しいのです。
ともあれ、いわきから先への道は繋がりました。ここからは竜田行の普通に乗り換えます。
この日はホームが普段とは異なる5番線というので行ってみたところが、回送電車が停まったまま、ドアが開きません。どうしたものかと思っていたら、そのままホームから引き上げてしまいました。
私も他の乗客も訳が分からずにいると、駅員のアナウンス。いわきから竜田が強風のため運転見合わせ、代行でタクシーを運転するとのこと。ただアナウンス冒頭で「繰り返しお客様にお知らせします」と言ってましたが、特急が着いてから一度も聞いてないんですが。
そもそも、以前のアナウンスが伝わっていたら5番線にはほとんど乗客がいないはずで、特急から竜田方面に乗り換える乗客も私以外に少なからずいたはずです。できることなら、特急到着直後にアナウンスを入れてほしかったとは思います。
ともあれ、改札に行けば代行タクシーに乗るべく乗客が少しづつ集まっていました。駅員の誘導でタクシー乗り場に行き、三々五々、行先別にタクシーに乗り込みます。私も他の乗客3人とともに、竜田までの代行タクシーに乗り込みました。
タクシーは叩きつける風もなんのその、快調に飛ばします。ですが、なにせ地道経由なので、所要時間は電車とは比べるべくもありません(これも被災地で鉄道の復旧が必要な理由の1つです)。そして、竜田から原ノ町までの代行バスは1日2本。10時過ぎのものを逃すと、次は夜までないのです。
しかし、運転士氏の話では、代行バスの発車時間にはどう転んでも間に合わないとのこと。代行バスは電車との接続はしていないので、時間が来れば発車していても何の不思議もありません。同乗の乗客には涙声になる人もいます。
そうするうち、タクシーは道の駅ならはを通過。大震災と福島第一原発事故があってからは休館中。今は双葉警察署の臨時庁舎になっていますが、トイレは使えます。このほかJヴィレッジの前も通ったのですが、写真に収めているどころではありませんでした。
楢葉町を流れる木戸川。鮭釣りや鮎釣りができるところでしたが、大震災以来長らく稚魚の放流ができず、今年になってようやく再開できたとのことです。
さて、竜田駅は近づいたものの、バスの時間はとうの昔に過ぎています。
ただ、ここまできて諦めるわけにはいかない。聞いたところでは、竜田から原ノ町まで、タクシーなら2万円はかからないとのこと。普段ならあり得ない選択肢ですが、現実としてバスがなければ、他に原ノ町までの移動手段はありません。是が非でも原ノ町に行きたい人は私以外にもいるはずです。
腹は決まった。あとは同志を3人糾合できれば文句なし。カネでカタがつくならつけちゃるわ!と、この程度のことで大決断を下したような気分になったところで、タクシーは竜田駅前の道に入りました。電車なら25分ほど前に着いていたところ、バスの発車時間を10分以上遅れての到着です。
しかし、駅への細い道から駅前広場へ、一気に視界が広がると、予想しなかったものが現れました。
バスだ!バスが待っていた!!諦めていたはずの代行バスが、目の前で停車中だったのです。磔のセリナンティウスを見たメロスの気分とはこのようなものでしょうか(たぶん違う)。
運転士氏に話を聞いてみると、JRの状況は知っていて、時間を決めて待つようにしていたそうです。それにしても、JRが運休になるほどの強風は最近は珍しい、とは言っていましたが。
ともあれ、これで原ノ町に行けることは確定。原ノ町まで行けば、あとは多少遅れようがなんちゃなる。この時点では、そう思っていました。
相変わらずの強風の中、バスは不通区間を順調に走り、原ノ町着。この先のJRにもダイヤの乱れはありそう、とは添乗員のアナウンスでしたが、乱れぐらいならどうってことはありません。
かつての大名、相馬氏の陣屋をイメージしたような駅舎と横断幕。以前より陣屋感が増した気がします。ちなみに当時のエントリがこちら。
ただ、電車の予定時間まであまり間がありません。最低限の写真だけ撮って駅舎に入ったのですが、
なんと。
ただ、考えてみればあり得る話です。南北に分かれているとはいえ、同じ福島県の浜通り、同じように強風が吹けば運転見合わせにはなることもあるでしょう。
運転中止ということで、ディスプレイには電車の案内はありません。ただ、実際には原ノ町から小高の電車は動いています。とすれば、完全に運転できないわけでなし、風が止めば運転は再開されるでしょう。ここから先はある程度余裕を持って予定を組んでいるので、すぐに困ることはない。そう思って待つことにしました。
予想外に時間ができたので、駅をじっくり見てみます。売店の裏側には、地元の絵師による絵の模写が大きく描かれています。
みどりの窓口の奥は原ノ町駅陣屋と銘打ち、相馬野馬追のパネルや映像が展示されています。
相馬野馬追グッズもいろいろあります。変わったところでは写真名刺なんてのも。
馬追で使われる馬具と甲冑の展示もあります。甲冑は明治以後に旧士族が手放したものが、全国から集まってきたのだとか。
甲冑の試着体験という案内も。ちょっとだけ心が動きましたが、やはり恥ずかしいのと、駅員がそれどころではなさそうなので、遠慮しました。
孤立状態をついに脱し、新たなダイヤとなった相馬駅の発車時刻表。ただ、今日に限っては線路が繋がったのが仇となった形です。運転見合わせの原因となった阿武隈川の鉄橋があるのは宮城県内。相馬・原ノ町間だけなら、その煽りを受けることはなかったはずですし。
しばらくすると、アナウンスで新たな情報。15時ぐらいまで運転を見合わせるとのことです。かなり待たされることになりますが、まだ何とかなる範囲です。とりあえず、中にいても仕方ないので、駅の周りを歩いてみました。
相馬野馬追の幕は以前より増えたようです。街のシンボルが蘇り、困難は山積みであっても、少しずつ復興の芽も育っているように感じます。
駅前にある武士の像。もちろん相馬野馬追を意識したものでしょう。
さて、15時ぐらいというので駅に戻ってみたのですが、いっこうに運転を再開する気配はありません。アナウンスは運転見合わせというだけ繰り返すだけで、新たな情報は一切なし。冬至が過ぎたばかりの浜通り、早くも日は傾いていきます。流石に不安になってきました。
この後の予定は、常磐線で岩沼まで乗り切ったら東北本線・東海道本線を走り切り、夜行バスで京都までワープして、その後はすべて鈍行で夕方には高知に戻るというもの。バスへの待ち時間は2時間以上取っているので、ここでかなり遅れても、途中新幹線を使うなどすれば間に合うはずです。
ところが、待てど暮らせど電車は動かない。もっとも、今回も他例に漏れず青春18きっぷを使った旅で、そうである以上、運転見合わせや運休があっても文句は言えません。むしろ、そういうリスクを承知の上で安いきっぷを使っているわけで、嫌なら別の手段を使えって話です。
とはいえ、どういう状況なのか情報が全くないのは困りものです。駅員も乗客対応でおろおろするばかりで、話を聴ける状況ではありません。いつ運転が再開されても良いように駅で待つのが賢明ではありますが、この分だと買えるうちに夜食等も調達しておいた方が良さそうです。駅の地図を見たら近くにスーパーがあるようなので、行ってみたところが、
まるで人気がありません。かなり前に閉店してしまったようです……
近くにコンビニもありますが、心のダメージが相当深かったようで、何も買わずに駅に戻ってきました。
ついに17時。売店の営業終了時間になってしまいました。この間、運転見合わせという見れば分かるアナウンス以外はありません。何より、いわき・竜田間と違って代行運転の手配も一切ありません。もっとも、さっきの通りで18きっぱーの私は良いのですが、代替手段がないおかげで、払い戻し作業は増え、駅員は手が追い付かず、みどりの窓口の行列は延びて空気は悪くなる。
水戸支社と仙台支社との間で調整が必要とか、運転見合わせがこんなに長くなると見込んでなかったとかの理由か知れませんが、いささか想定が甘かったのでは、とは思ってしまいました。これが駅の中だからまだマシですが、電車の中で待たされた乗客は、たまったもんじゃないでしょう。
そして17時半頃、やっと運転再開のアナウンスがありました。最初の電車は18時52分発仙台行、しかしこれが仙台方面からの電車の折り返しで、その電車自体が遅れる見込みなため、発車時間は遅れるとのことです。
今日中の運転再開はまだ良かったのですが、これで当初予定していた夜行バスに乗り継げる可能性は完全に絶たれました。急ぎ予約を取り消すと、代わりのルートを探さなければなりません。こういう旅なので帰りまで飛行機を使うのは論外、新幹線も使うのは最低限、というかまたダイヤが乱れた時の保険にとっておきたい、翌日中に帰るのならば夜の間の移動は必須、趣味でなければ七面倒なだけの条件が重なる中で、最低限の出費で最速のルートを考え出さなければなりません。
原ノ町にいる間に時刻表を何度もめくり、夜行バスの予約状況を調べ回り、何とか座席を確保して、新ルートを編成する頃には、電車の時間がようやく近づいてきました。ディスプレイにもついに電車の案内が映されています。
すっかりクリスマスイブ・イブになった原ノ町駅前。次に来るのは、小高から浪江の運転再開時。そうなると、おそらく通過するか乗り換えるだけになるのでしょう。不測の事態で長居することになりましたが、それはそれで良かった、と思うことにしましょう。
ホームに出ること数分、踏切の灯りが交互につくのが見えてからしばらくすると、待ちわびた電車がやって来ました。
当初の予定から22分遅れて、原ノ町行の電車が到着です。既に遅れているので折り返しの時間も僅か、今度は15分遅れで原ノ町を後にします。私にとっては、7時間17分の遅れですが。
電車は10分ほど走って相馬に到着。ここからが新たに運転が再開された区間です。ここまできてようやく、本日のメインエベントです。
相馬から浜吉田方面。もう暗くてほとんど何も見えませんが、待ちわびた青信号だけはハッキリと見ることができました。
そして肝心の区間ですが、田圃が延々と広がる海沿いの平野部を走ります。ということは、夜は灯りらしい灯りもほとんどないので、何が何やら分かりません。とりあえず、高架化されて完全に新しくなった新地駅の駅名板だけ上げておきます。
そして、電車はあれだけ待たされたのがウソのように順調に走り、仙台に着いた頃には遅れは9分に。街の明かりが、別世界のようです。
予定を変えて、仙台から東京までをバス移動にして少し時間が空いたので、駅ビルの居酒屋で夕食。仙台味噌と焼酎のお湯割りが心に沁みました。