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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

モンゴル人民党の公約に「IMF管理下での財政再建」はあったのか?

 今月18日、人が研究報告を終えてホッとしている最中にモンゴル銀行(モンゴル国中央銀行)が政策金利を4.5%も引き上げ、15%に設定したそうです。この件は日本でも報じられたのですが、どうも気になることがあります。

 

 まず、モンゴル銀行による政策金利引き上げのプレスリリースです。上からモンゴル語、英語の順です。

"Мөнгөний бодлогын мэдэгдэл - 2016/04"

"Monetary policy statement - 2016/04"

 この中にもありますが、モンゴルの通貨トゥグルグ(トグリグ)は6月末、選挙直前から急激に下落しています。対ドルレートを見ると、6月23日には1ドル1938.76トゥグルグだったのが、7月6日に2000トゥグルグを突破、8月1日に2074.64トゥグルグ政策金利引き上げを決定した8月18日には2265.28トゥグルグと、この間で16.8%も下落したことになります(レートはモンゴル銀行ウェブサイト調べ)。

 私も今回の滞在では到着翌日と昨日それぞれ両替しましたが、対円レートもこの間80銭ほど変わってました。両替商によってレートは多少違いますが、どこも傾向は同じはずで、トゥグルグの価値下落を実感しました。

 この件はモンゴル国内、国際ビジネス紙はもちろんのこと、日本でも日経が紙面を結構使って報じているようです。モンゴルと日本との間では経済連携協定(EPA)が発効したばかりで、モンゴル経済への日本からの関心も高まる気配があるのでしょう。なお、報道内容は下記リンクの通りです。

 

www.nikkei.com

 

 ちなみに、日経は英語紙の"Nikkei Asian Review"でも報じる力の入れよう(?)です。

 

asia.nikkei.com

 

 政策金利引き上げの背景と、経済への影響については、私も日経記事の解説にほぼ同意します。加えるなら、通貨の信認を回復するためにとれる方法は、おそらく他にはなかったであろう点(市場介入で対処できるレベルの下落とは思えない)、また、これでトゥグリグが安定したとして、それだけで外国からの投資が戻ってくるとは思えないという点です。世界の資源需要、とりわけ中国での需要が回復しないことには、鉱物資源開発への投資が進むとは思えませんし、政策金利引き上げで国内市場が打撃を受けるとなれば、当然投資先としての魅力は損なわれます。

 一方で、日経の日英双方の記事を読むと、どうも引っかかる記述があります。

 

「6月の総選挙で大勝した与党・人民党政権は、国際通貨基金IMF)の管理下での財政再建を公約に掲げており、既に支援要請に向けた準備を進める」

"The Mongolian People's Party won by a landslide in June's general elections. The party has promised fiscal reform under the International Monetary Fund's supervision, and has begun preparations to seek assistance. "

 

 いや、私が見た限り、モンゴル人民党の公約にはそんなことは書いてなかったはずなんですが……

 この部分、何も知らない人が読むと、モンゴル国民がIMFの管理に信任を与えたようにも理解されかねません。ただ、直感的にはまず考えられないことです。ってかIMFの名前を出して選挙に勝てますかね

 そんなわけで、どうにも疑問を感じてしまったので、ひとまず人民党の公約をもう一度読んでみることにしました。こちらがその公約です。

 

www.nam.mn

 

  この公約については、以前のエントリでもご紹介したのを覚えていらっしゃる方もいると思います。そうでない方は、一度お読みいただけると嬉しいです。

 

3710920269.hatenablog.jp

 

 人民党の公約では、第2章が経済政策に関するものになっており、19ページから31ページにわたります。このうち20ページにある第2項が「責任ある、透明で、節約的な予算」となっていて、ここが財政に関してまとめていることが分かります。

 で、実際に読んでみたのですが、

 

IMFの"I"の字もありませんでした。

 

 って、当たり前ですよね。モンゴル国モンゴル語キリル文字表記ですから。

 というわけで気を取り直して、IMFについてモンゴル語で記す時に一般的に使われる略記の"ОУВС"(Олон Улсын Валютын Сан)を探したところ、

 

やっぱりありません。

 

 日経記事にも出てくる外貨建て債券「チンギス債」についての記述こそあれ、IMF云々はやはり書いていません。念のため経済関連の他の項目も調べましたが、やはりIMFは登場しませんでした。

 モンゴル人民党が選挙前に掲げた公約は、私が知る限りこれが決定版です。もちろん私が調べ切れてない可能性はありますが、仮にそうだとしても、そもそも公約が複数あっていいのかと言う問題もあることは指摘しておきましょう。付け加えると、民主党の経済政策に関する公約にも、IMFに関する記述は出てきませんでした。

 というわけで、国際通貨基金IMF)の管理下での財政再建を公約に掲げており」という日経の記述には疑義が生じます。そして、これが誤りだったとしたら、些末な事実誤認にはとどまりません。先にも書きましたが、この部分は、モンゴル国民がIMFの管理に信任を与えたようにも理解されかねない記述です。これが正しいか、誤りかで、今後モンゴル政府がIMFの管理下に置かれた際に、国民がどう反応するか、見通しが全く変わってきます。特に誤りだった場合、国民からすれば「後出し」の話で、話が違うじゃないか!という怒りが湧き出しても不思議はありません。ここで2008年の暴動を持ち出すのは過剰反応かも知れませんが、デモ・座り込みなどの反発や与党内の亀裂による政治の混乱は十分予想されることになります。

 そして、実際モンゴル政府は今後の経済政策について、IMFとの協議を始めているようです。モンゴル銀行が政策金利引き上げを決めた同じ日に、IMFの代表団がエルデネバト首相を訪問したとの報道がされています。

 

news.gogo.mn

 

 既にモンゴル政府は財政緊縮措置を始めていますが、加えてこの記事を読むと、今後モンゴル政府がIMF指導助言の下でさらなる緊縮策を取ることは予想されます。さらに外債の支払危機に陥れば、助言どころかIMF管理下での構造調整も視野に入ります。

 もっとも、IMFの管理下に置かれれば融資は受けられますが、代わりに国内の政策に関して様々な条件が付けられ、モンゴル政府の自主性が損なわれる懸念があります。モンゴル政府がそれを嫌えば、他の支援先を探すことになります。

 ここで留意すべきは、もしそうなった場合に日本がすぐに手を挙げられなければ、日本は「モンゴルへの最大の支援国」という立場を失いかねないということです。日本は1990年代から積極的にモンゴルを支援し、モンゴル国内での対日世論を一気に高めた実績があります。ロシア・中国の間にある友好国の存在は日本にとって貴重ですし、他国に経済支援で先を越されたために、そのような友好国を失う事態は避けなければなりません

 モンゴルは来年から大規模な外債の支払いを始めなければなりません。ここで失敗すれば、そうなるとマクロ経済や産業へのさらなる影響は避けられません。個人的には、急激な市場経済化政策によって国内生産・輸入が激減、深刻なモノ不足が起きた1990年代前半ほどではないにせよ、一定程度の混乱は織り込んでおくべきと考えます。とすると、実際に混乱が起きた際に、日本がどう支援するかも今から考えておくべきでしょう。

 少々話が逸れましたが、まとめると、

 モンゴル人民党が「IMFの管理下での財政再建」を公約に掲げて選挙に大勝した事実は確認できない

というのが結論になります。さらに加えて、

 ただし公約はどうあれ、今後IMFの管理下に置かれる可能性は想定される。その場合、政治・経済の混乱も懸念される

 そのような事態に備えて、日本は今から対モンゴル支援のあり方を考えておくべき。さもないと、場合によっては友好国をみすみす他国の影響下に渡すことになりかねない

 という2点も考慮すべきでしょう。

 そういうわけで、これから来るであろう危機をモンゴルがどう乗り越えるかが注目されます。そして、危機を冷静に分析し、乗り越えるための最善策を見出せるか、と言う点で、モンゴル研究者の真価が問われる時期でもあります。