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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

東京交響楽団・東京オペラシティシリーズ第139回を聴いてきました

 

 東京交響楽団による東京オペラシティシリーズ第139回を聴いてきました。プログラムはポーランドの作曲家による2曲、ショパンピアノ協奏曲第2番ヘ短調」、グレツキ交響曲第3番『悲歌のシンフォニー』」です。

 

 

 東京交響楽団による東京オペラシティシリーズ第139回を聴きにいってきました。個人的には初の東京オペラシティです。

 この日はポーランドの作曲家による2曲プログラムが組まれています。オープニングはショパンピアノ協奏曲第2番ヘ短調」、メインはグレツキ交響曲第3番『悲歌のシンフォニー』」、ともに気鋭のソリストを招いての演奏です。

 ただ実のところ、ショパンの名前や作品は知っていても、グレツキとなると「?」な方も結構おられるかも知れません(って、当ブログの演奏会エントリってこんなんばっかりだな)。トップ画像には「あの社会現象から早くも30年」とあるものの、30年前だとまだ生まれていない方も少なくないでしょうし。

 戦後ポーランドは政治的にはソ連への従属を強いられた一方で、音楽表現に関しては例外的なほどの自由が許された国です。1956年の音楽祭「ワルシャワの秋」を契機に、現代・前衛音楽が一挙に開花、「社会主義リアリズム」という軛から逃れられなかった他のソ連・東側諸国とは異なる発展を遂げたのです*1

 ヘンリク・ミコワイ・グレツキ(1933-2010)が作曲家となっていったのは、そのような環境の下でした。多分に漏れず、彼も「2つのヴァイオリンのためのソナタ」「遭遇」「交響曲第1番『1959年』」といった前衛的作品を発表、国際的な注目を集めています。

 しかし、早くも1960年代に入ると、彼は徐々に古い時代の旋法やカノン、民謡を作品に取り入れるようになります。些か余談ですが、この時期に発表された「3つの古風な小品」(Trzy utwory w dawnym stylu)という弦楽合奏向けの作品は、細分化された弦楽器が一部トーン・クラスター的にもなりながら、調性を保持しつつ折り重ねられるという点で、交響曲第3番を含む後の作風を予告するかのようで、私の好きな作品の1つです。

 

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 話を戻して、さらに時が進むにつれ、前衛からの距離は一層遠のいていきます。グレツキ自身も国際的な舞台にはほとんど立たず、国内の音楽界からも離れ、より単純で平明な手法による作品を作り続けていきます。

 1976年に作曲された「交響曲第3番」も、そのような作品の1つです。3つの楽章すべてが遅いテンポで、嘆きと祈りを静かに歌うこの作品は、革新的な技法があるわけでも先鋭な表現があるわけでもなく、当初は大した関心を持たれなかったようです。

 ただ、1980年代に入ると、前衛音楽からの回帰が欧米で広がっていきます。時代がグレツキに追いついていった、と言えるかも知れません。

 そして、この交響曲の名声を決定的にした録音が現れます。1992年、ジンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタがソプラノにアップショーを迎えて演奏したエレクトラ・ノンサッチによるCDです。50分を超える演奏時間の交響曲のみを収め、ポップス・ロックの販売棚に置かれるはずもないCDは、突如としてヒット、UKチャートのベスト10にまでランクインしたのです。

 

 

 そんな中、1994年に新星日本交響楽団がこの曲の日本初演を行います。当時大学オーケストラに入団したてで、同時代のクラシックの動向をまるで知らなかった私に当時の状況を語ることはできないのですが、奇跡とも言われるヒットの衝撃が当時日本に届いていたこと、そして初演がその衝撃を日本でさらに強めたことは間違いないでしょう。

 それから30年、今回の演奏会が開かれました。初演を担った新星日響は既にありませんが、タクトを執るのは当時指揮を務めた沼尻竜典氏。演奏会への意気込みを、下記の通り語っています。

 

tokyosymphony.jp

 

 当日の演奏の話をするのに、前置きがすっかり長くなってしまいました。まずはショパンの作品から。

 ショパンは2曲の協奏曲を出版していますが、当時の都合で作曲の順番と番号が入れ替わっていて、作曲順は今回演奏する「第2番」の方が早いです。

 ショパンワルシャワ凱旋を飾り、また彼が故地で最後に披露する運命となったこの作品は、煌びやかで華やかな演奏効果を誇る、いかにもなピアノ協奏曲という感じよりも、むしろときに儚さすら感じさせる可憐さや抒情性を湛えた佳品です。

 ソリストは若手ながら既にショパン作品の演奏経験が豊富なエリック・ルー。ときに熱い情感を放ちながらも、極端な表現があったようには感じさせず、譜面の美しさをして語らせるような演奏という印象を受けました。管楽器経験者でピアノが縁遠い私は正直なところショパンに詳しくはないのですが、それでも第3楽章は、あぁこれがショパンの愉しさなのだ、という気がしました。

 なお、アンコールももちろんショパン。しかもご存知、前奏曲作品28第15番「雨だれ」です。窓外で雨が降り続くうちに思索に耽っていくかのような、ひとつひとつの音に深さを感じる演奏でした。

 そしてグレツキ交響曲第3番」です。全曲の半分程(演奏によっては半分以上)を占める第1楽章は、分割されたコントラバスの一部から弦楽器全体へと徐々に広がるカノン、死にゆくイエスとの別れの悲しみを歌う母マリアの哀歌によるモノフォニックな中間部、その頂点で弦楽器全体が再び現れるカノンが次第に消えていき、最後はコントラバスのみが残るというシンメトリックな構成です。

 私も四半世紀以上この曲を聴いてきて、スコアも見たことがありますが、どれだけ聴取経験を重ねようが、やはり目の前でオーケストラがカノンの細かい声部を積み重ね、その頂点から終息(収束ではない)させていくさまを見ることには全く及ばない。中間部とのコントラストも含め、見なければならない実演を見ることができたと強く感じました。

 第2楽章は、この曲を世に知らしめた主な要因の1つなのでしょう。というのも、そのテキストはNSDAP、通称ナチスによる戦禍の産物だからです。

 ここで歌われるのは、ポーランド南部のザコパネに置かれたナチス・ドイツ国家秘密警察(ゲシュタポ)本部「パレス」地下室の独房に投獄された女性が壁に刻み込んだ聖母マリアへの祈祷文です。祈祷文の下には「18歳、1944年9月25日より投獄される」と書かれていたとのことですが、この女性についてそれ以上のことは分かりません。

 3つの楽章の中では、演奏時間もテキストも最も短い中間楽章ですが、この日の演奏では他の録音程テンポが遅くはありませんでした。いや、他よりも早かった、といってしまうと何か語弊があるような気がするもので……

 テンポ設定の理由は、私には分かりません。初演からテンポを変えなかった可能性もあるでしょうが、だとしてもその理由も分かりません。あるいは、ともすればそこにばかり注目が集まりそうな楽章について、あえて「引っ張り」たくはなかったのでしょうか。または、その背景に反して(?)明るさをも感じさせる祈祷文と長調の音楽よりも、その前後の楽章の方が、今の世界においてよりリアリティを持つものということなのか?

 これらはあくまで根拠のない想像なので、さらに展開するには止めましょう。ただし一言、グレツキ第二次世界大戦による惨たらしい出来事について、「それらはあまりに巨大です―それらについて音楽を書くことはできません」と語っていたとは記しておきましょう*2。第2楽章の存在故にこの作品を戦争交響曲と呼ぶのは、皮相でしかないのです。

 第3楽章はポーランド・オポーレ地方の方言による民謡をテキストにしています。内乱の最中に息子を失った母親の嘆きが、イ短調の簡素な(とはいえ不協和音と協和音を揺れ動く、決して素朴ではない反復の中で)訥々と訴えられており、3つの楽章中テキストは最も長くなっています。楽章の終わり近くでは長調に転じ、もはやその墓すらを見つけることすらできない息子が、せめて安らかに眠るようにとの母の祈りが語られます。その後に曲は暗転、母のか細い怒りが浮かび上がるものの、最後はそれすらも包むイ長調の和音で全曲が閉じられます。

 今回の演奏は、そのように朴訥としている楽章だからこそ迫るものを、そのまま十分に感じさせる好演でした。無用な解釈や表現を排し、「うた」そのものが訴えるものを最優先したものとも言えるでしょう。むろん、それは一切の装飾を排したグレツキのスコアゆえのものではありますが、演奏する側の姿勢なくして可能ではないのも確かです。

 ちなみに、演奏会に際してはソプラノの立ち位置を合唱席にする案もあったようです。

 

 

 結果としては通常通り、ステージ前面の指揮者横でソプラノが歌っていました。私見では、それが正解だったと思います。合唱席だとソプラノの存在感といい、識者からの歌い出しの指示といい、どうしても大仰になってしまうでしょうし。

 

 全曲の終結、しばしの静寂を置いて、客席からは大きな拍手が沸き上がりました。歓声とともに立ち上がって演奏を讃える人もあちらこちらで見られます。間違いなく好演でした。

 そしてホールを出て、初演から30年の時を経た後の現実に引き戻されます。オペラシティから散歩をかねて新宿中央公園に来てみると、見渡したどこも親子連れでいっぱいです。ここだけ見れば、少子化や都市の「ブラックホール」などどこにあるのか、という感じです。奇しくも国際子どもの日、その日に相応しい平和な情景があります。

 ですが……目を転じれば、紛争や内乱は、この30年間終わることがありません。殺戮によって子を失った母の嘆きが止んだこともありません。

 むしろ、第2楽章が象徴する、あまりに多大な犠牲の上に否定されたはずの絶対悪が、それを(少なくとも形式上は)否定したはずの人々によってすら蘇らされている、そしてそれを止めることが未だできていない現実に、われわれは直面しています。

 そのような現実に対して、われわれはあまりに無力です。ですが、せめてそれに対して、「否」の思いを持ち続けることはできるはずです。

 なればこそ、第3楽章、最後に歌われる問いかけに、われわれは決して耳を塞いではならない、向き合わなければならないと思っています。

 

Wy niedobrzy ludzie, 

dlo Boga świętego

「お前たち悪人どもよ、神の名において教えて」

cemuście zabili 

synocka mojego? 

「なぜ私の息子を殺したの?」

 

※ 日本語は配布プログラム、CDライナーノーツおよび複数の翻訳機能の訳出を踏まえて作成

*1:以下、作曲家・作品の説明は当日配布のプログラムと作品収録のCDライナーノーツによります

*2:コズウォフスカ(ソプラノ)、コルド指揮ワルシャワ・フィル演奏フィリップス版ライナーノーツより。