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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

只見線只見-会津川口間乗車で日本の鉄道営業路線「完乗」(後編)只見から会津川口、会津若松へ

 

 JR東日本只見線で小出から只見までやって来ました。ここから会津川口までは長らく災害による不通が続き、以前来た時は代行バス利用。日本の鉄道営業路線「完乗」に向け、いよいよ列車で走りはじめます。

 

 

 まず、ここまでの旅程については前回エントリをご覧ください。

 

www.3710920.com

 



 長い眠りから覚めたばかりの、会津若松方面への鉄路。待ちわびた旅が始まります。

 

 

 只見駅を出た列車は高度を上げていきます。天気が良ければ稲刈りに勤しむ人々の姿も見えたことでしょう。

 

 

 この間、只見川に沿って走る只見線。列車は只見川に注ぎ込む川をいくつも渡っていきます。

 

 

 只見川の岸辺で工事中のところを見つけました。度重なる大雨や洪水との戦いは、只見線が復活した今も終わっていません。

 

 

 列車が会津蒲生駅に差し掛かりました。鉄路の復活を待ち続けた人々の思いがこもった黄色いハンカチが、乗客を迎えてくれます。

 

 

 今は穏やかな只見川。ただここでも、向こう岸で工事が行われています。

 

 

 その奥には、全線「再会」を祝うメッセージ。そう、11年ぶりの列車との再会です。

 

 

 只見川を渡る国道の鉄橋。川の真ん中に橋脚を置くわけにはいかず、両岸から大きなアーチが架かっています。

 

 

 次の会津塩沢駅に来ました。ここでも只見線の運転再開を祝うメッセージが掲げられています。

 

 

 駅の端に置かれているのは、積雪の高さを測るための標柱。真冬には限度いっぱいまでの雪が積もるのでしょう。

 

 

 会津塩沢を出た列車は、さらに小川を越えて只見川沿いを走ります。

 

 

 この付近は幕末の長岡藩士河合継之助の終焉の地。新政府軍との戦いに敗れ、再起を目指す中で斃れた継之助の記念館があり、画像では見えにくいですが、その幟が立っています。

 

tadamikousya.sakura.ne.jp

 

 

 再び川を渡ると、列車はいったん只見川と国道を離れ、東へと進路をとります。そしてもうすぐすると只見町を抜けて、金山町に入っていきます。

 

 

 次に来たのは会津大塩駅。コスモス畑の中に、ここでもまた運転再開を喜ぶメッセージがありました。

 

 

 さらに列車は会津大塩駅を越えると、第七只見川鉄橋で初めて只見川を渡ります。11年前の水害で流出し、このたびようやく再建された橋梁のひとつです。

 

 

 復活なった鉄橋を渡り、会津横田駅にやってきました。

 

 

 他の駅にも増して賑やかな駅周辺。

 

 

 復活記念の幟も、いくつも立っています。

 

 

 会津横田会津越川を経た列車は、第六の鉄橋で再び只見川を越えていきます。この橋も水害で流出してから再建されており、塗られたばかりのクリーム色のトラスが架かっています。

 

 

 橋桁も橋の真下のコンクリートもまだ新しく、明るい色を放っています。

 

 

 そして列車が本名駅に差し掛かると、到着に合わせて出てきた人々が、列車に向かって手を振ってきます。振り返している間に列車は駅を離れ、次の会津川口へと進んでいきます。

 

 

 列車は第五只見川鉄橋で、また只見川の右岸へ。

 ふと思うに、同じ山里と言える土地でも、会津と土佐ではえらい違いです。普段見慣れた急峻な山々、その尾根にまである集落と比べると、東北はいかにもなだらかで穏やかに見えるものです。尤も、冬場の雪ときたらそれは凄まじいのでしょうが……

 

 

 集落が近づいてきました。会津川口駅はもうすぐです。

 

 

 駅の構内に入ると、只見駅同様に転車台が残っています。その先には作業用の機会があるので、線路としては現役のようです。

 

 

 駅の向こうで列車を待つ人々。ただ乗車するというよりも、復活した列車でやってきた人々を歓迎する気持ちのようです。

 

 

 そして、会津川口駅到着。

 ついに、ついに、名実ともに日本の鉄道営業路線「完乗」を達成しました!

 とはいえ混み合う車内で快哉を叫ぶわけにもいかず、ここでは目立たないよう小さくガッツポーズのみ。宿についたら、ささやかながら祝杯を挙げるとしましょう。

 

 

 駅に着いて、来し方を振り返ります。

 つい先ほど通ったばかりの路線。ようやくつながった鉄路、全線再開なった只見線。そして、これまで私が乗った日本の鉄道営業全路線。

 物理的には繋がっていないところもあれば、歴史の彼方に去っていったものもあるけれど、それでも、私の目の前では、全てここまで繋がっています。

 どんなに曲がりくねっていたり、分かれ道があったり、あるいは途切れているように見えたとしても、人生が全て繋がっているように(お、良いこと言った)。

 

 

 そして、乗りつぶしが終わった後も、鉄道の旅は続いていきます。さらに只見川に沿って、あるいは渡って、列車は会津若松を目指して走っていきます。

 

 

 川に浮かぶ小舟。調べると、渡し舟があるそうです。

 

www.mugenkyo.info

 

 

 再び人里離れた中を進む只見線。川はすっかり淀んでいます。

 

 

 列車は会津宮下駅に着きました。三島町の中心にある駅で、少し歩けば鉄道と道路のアーチ橋が眺められる場所もあるそうですが、今回は通過のみ。

 

 

 さらに進んだ先の滝谷駅では、まだ新しい小さな駅舎が建っています。

 おそらく、国鉄時代の古い駅舎を取り壊して、維持が容易になるよう新たに建てたのでしょう。そして窓一面に渡された雪除けが、冬場の豪雪ぶりを物語っています。

 

 

 会津柳津駅に着くと、反対側のホームに大きな看板が立っています。

 

 

 観光での鉄路維持を目指す地元の自治体が、PRに努めています。

 ただ、観光列車の運転日は今年のもの。来年はどうなるのでしょうか。

 

 

 列車は次第に山を下りていき、気がつけば広い盆地に入って会津坂下駅へ。あいづさかした、かと思いきや、読み方が違っていたことに気づかされました。

 

 

 そして17時24分、列車は定刻通り終点会津若松に到着。4時間余りの各駅停車の旅が終わりました。

 ちなみに、この間最後まで車内は混み合ったまま、私も立ち通しでした。

 

 

 駅に置かれている只見線ジオラマ。第一只見川鉄橋の風景です、で合ってるかな。

 

 

 駅の売店では土産物やグッズが並んでいます。今夜の宿はもう少し先、ここで夕食を調達して、次の列車に乗り込みました。鉄道の旅は、これからも続いていきます。

 

※ 2011年水害での只見線の被害については、下記サイトを参照しました。

tadami-line.jp