自分で学んで生きていくための5冊、4冊目からは、学びを基に社会とどう関わるかというテーマを掲げたいと思います。まずは、一番身近な社会である「家族」に焦点を当てた一冊をご紹介します。
このシリーズの主なターゲットは大学の新入生です。もちろんそれ以外の方も歓迎ですが、少なくとも、想定するターゲットの多くが20歳以下の方になります。
そのような多くの皆さんにとって、まだ将来の自分の姿はよく分からない、まだはっきりとは見えないと思います。それで何の不思議もないですし、全くおかしなことではありません。
ただ、ほぼ全ての皆さんが、人生のどこかの時点で、早い人は、今後10年以内に、一度は選択を迫られるであろうことがあります。
それは、皆さんが家族を持つか持たないか、という選択です。そして、前者を選んだ方には、さらにどのような家族を持つか、という選択場面がもれなくついてきます。平たく言えば、結婚するかどうか、子どもを持つかどうかです。
今の社会において、これらの選択は、ふと考えてみると奇怪なものです。建前上は自由が保障された下での選択でありながら、法律、経済、社会関係、身体条件という、かなりの部分が本人にはどうにもできない制約に左右される。
そして、その制約は得てして不均等に課せられます。法律上の結婚という選択肢が提供されないカップルもいれば、経済的な不安定からパートナーが得られない人もいる。あるいは、出自によって自ら配偶者選択を行えない人や、結婚に反対されるカップルもいる。
あるいは子どもを持つことについても、経済上・身体上の困難は不均等につきまといます。あるいは、配偶者間で生殖する以外の選択肢には、法律に加えて社会的合意という制約が課せられる。
ここではそれらの制約について是非を問うことはしません。というか、制約が課されること自体の善悪を問うのは無意味ですし、個別にどうこう言うのも、本題から逸れた話になってしまいます。大事なのは、建前ほど自由ではない、ということです。
そのように不自由でありながら、建前上の自由は、現実に自由であるという認識にすり替わる。その結果、選択自体は個人の自由でなされたことと見なされ、責めだけは負わされる。不条理とすら言えるかも知れません。
このように、建前と現実の乖離した中で選択を迫られた時、誰もがどうすればいいのかを考えることでしょう。一方で、なぜなのか、どうしてこうなったと、納得のいかない思いを抱く人もいることでしょう。
本書は後者の問いに対し、結婚や家族に関する社会科学的な研究に基づく見方を提供するものです。一方では歴史的経緯と言うタテの軸を据え、他方ではデータを駆使した同時点での比較というヨコの軸を引き、結婚や家族に迫っていきます。
ただし、やはり今から結婚・家族と言われてもなぁ、という若い方も多いと思います。そういう方は、思い切って第五章第二節「カップル関係は変わるのか?」(pp.214-232)から読んでみるのも手です。結婚まで行かずとも、カップル関係なら相対的に身近なためです。
これについて、「そんなこと言われたって彼女/彼氏いないよ!」とお怒りの若い方。そういう怒りが出ること自体が「身近」な証拠なのです。配偶者云々の話をされても、おなじぐらい感情を刺激されませんよね?
また、「本は最初から読むべきもの」と思っている方(特に新入生の方には少なくないと思うのですが)、その考えは捨てた方が賢明です。ミステリーやサスペンスはいざ知らず、学術書は必要なところ(だけ)をきちんと読む方が、最初から最後までをダラリと読むだけよりも、はるかに有益なのです。
その上で、個人的にはその続きの第五章第三節「『公平な親密性』は可能か?」に進むことをお勧めしたい。この「親密性」に関する議論こそが、筒井先生の真骨頂だと思うからです。率直に言って明るい結論とは言えませんが、だからこそ認識しておくべき議論ではあります。
著者自身が語るように、学術的な見方とは、タフな内容も含むものです。結婚や家族の歴史的変化についての通念を崩し、またある立場では理想とされる結婚・家族の在り方について、その意図せざる帰結や限界を示すものです。疑問を感じる人や、気分を害する人もいても不思議はありません。
とはいえ、現時点の結婚・家族の在り方が絶対のものではないことを知り、受け入れることは、それまでの常識や通年から読み手をある程度自由にしてくれることでしょう。
その自由をどう捉えるかは読み手次第です。ただ、個人的には―おそらく著者の同意も頂けるものと思いますが―自らの思想や立場をただ固めていくだけよりも、より深い理解につながるものと思います。
そして、そのような理解は、結婚や家族に関わる社会の意識、あるいは社会そのものが変化した時に、新たな視点から「悪くない」在り方を考える際にも役に立つと思うのです。