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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

今日で高知7周年、今日から8年目に向けて

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 今日で高知に来てまる7年、そして8年目突入です。これまでは学部・専攻の教育や業務と研究の両立等でせわしなくしていましたが、そろそろ「高知でよく生きること」という根本的な課題に正面から向き合いたいと思います。

 

 

 2015年に高知へと移って来てから、今日でちょうど7年になりました。この間いろいろあり過ぎて、7年前が遠い昔のようです。まだたったの7年なのか、という思いです。それだけ濃い経験ができているということではあります。

 この間、所属先である地域協働学部、さらに2年前に新設された大学院地域協働学専攻での教育や運営に関する多種多様多量の業務に加え、本来の(?)研究も行っていく等、それはせわしなく動いていたわけです(と、自分では思っています)。

 ただ、他聞に漏れず当方もCOVID-19で教育・研究活動、あるいは生活面でも大きな制約を受けています。事前に企図していた取り組みの多くができず、県外に出ることも自粛する時期が続く中で、この状況でもあえて追求すべきことは何かを考えるようになりました。

 そして思ったのは、多数の細かい目標をひとつひとつ達成していくことに気をとられるのは、そろそろ止めて行った方が良いということです。

 もちろん仕事ではそうもいかない部分が小さくないのですが、とはいえ目標を立てたとしても、不可抗力で断念することが続くと、少なくとも今は、細かいところにこだわっても仕方ないよね、という考えになってしまうわけです。

 むしろ、そうした細かいことの根幹というか、究極において実現を目指すべきものを、あらためて見定める必要があると思ったのです。

 

 そして、ようやく見えてきたそれは、「高知でよく生きること」です。 

 まずは私にとって、高知でよく生きるとはどういうことか。思考し、実践すること。さらにできれば、もう少し一般性のある「高知でよく生きる」とはどういうことかを明らかにするために、対話し、議論すること。

 これらが、8年目からの私のテーマになると思っています。

 高知でよく生きる。これからも高知で暮らし続けるのであれば、当然の理想です。当たり前過ぎるぐらいです。

 ですが、曲がりなりにも大学教員として仕事をしている以上、加えて言えばPh.D. (Doctor of Philosophy)、直訳すれば哲学博士の端くれであるのであれば、前提としての「よく生きる」とは何なのかについて思考、直観するプロセスをすっ飛ばすわけにはいかないのです。

 ただし、その「よく生きる」には「高知で」という前提がつきます。「よく生きる」とはイデアの世界のものではなく、実践可能なものでなければなりません。

 とすれば、この前提は私にとっては不可避なものです。こう書くと、どうにもネガティヴなものに見えるかも知れませんが、むしろ逆です。この前提を置くことで、実現不可能な理想を追う必要から解放され、身の回りで得られるものや、物事に対する感じ方・考え方から、「よく生き」ようとすることに集中できるのです。

 では、その「よく生きる」とは何か?現時点では現時点で「こう生きることだ」ということはできません。

 というのも、あくまで私にとっての答えが、あなたにとっての答えとなるとは限らないのに、そのような誤解を生むようなものを示すのは避けたいためです。

 また、「よく生きる」ということについて、新たな文献を読む中で思うのは、どうすれば「よく生きる」ことになるのかは個人個人で異なるとして、各々がそれを実現しようとする、つまりは「よく生きようとする」プロセスの中に、答えがあるという考え方も可能だし、むしろその方が適切ではないか、とも思うためです。

 だんだん虚をつかむような話になってきたような気もするので、これ以上深入りは避けますが、ただ、現時点で既に言えそうなことがあります。

 それは、全ての人々が、自身の考えによって「高知でよく生きる」とは何かを考え、実現できるよう自由に取り組むことができる場に高知がなったとするならば、それこそあらゆる土地の人々が、高知を目指してやってくることでしょう。そうなれば、移住者増などすぐさま実現できるはずです。

 そして、人間が社会の中で生きていく以上、個が「よく生きる」プロセスも、他者との関わりの中で取り組まれていくことになります。とすれば、「協働」というものの出番も、そこに必ずや存在します。

 

 ……とまぁいろいろ書きましたが、今年も公私ともに県内での活動や往来がメインになるわけです。楽しく面白くやっていこう、できればそれで、自分以外も楽しく面白く思ってくれると良いな、ということです。