東北一周の旅も後半に入りました。この日は日本海沿岸から秋田県北の山間部、対照的な風景の中をローカル線で走り抜けていきます。まずはJR五能線、五所川原駅から出発です。
JR五所川原駅に着きました。ここから西進し、日本海に突き当たったところで一気に南下、東能代を目指します。
五所川原は地元私鉄、津軽鉄道の始発駅でもあります。津軽半島中央部を津軽中里まで走るローカル線は、冬場のストーブ列車で有名ですが、五所川原の駅舎も本社も、完成時はモダンの極みだったのではないかと思わせる趣深さが魅力です。
駅の反対側には、巨大な倉庫がありました。青森と言えばねぶた祭り、中でも五所川原の立佞武多では高さ20メートル以上山車が造られ、市内を練り歩きます。
私が知る限りで、最も背丈が高いアヒルちゃんが26メートル(ただし見たことはない)。それに匹敵する山車を作るというのですから、相当いろいろ懸けて入れ込んでるのだろうと思います。ま、高知もよさこいがあるので人のことは言えないわけですが。
さて、ここからは快速列車で五能線を一気に乗り切り、奥羽本線との乗換駅の東能代を目指します。理想は鈍行で日本海をゆっくり眺めるか、リゾート列車を楽しむかなのですが、予定を考えると致し方ありません。
ただ、せめて地酒ぐらいは欲しいと思い、駅内の売店に入ったところ、
いや、あなたネコじゃん。
そう言えば、以前ふなっし~もリンゴになって「お前梨だろ」と総ツッコミを受けていたのを思い出しました。
青森恐るべし。
さておき、列車の発車時間が近づいたのでホームに入ります。まずは五能線の観光列車、リゾートしらかみ号の顔出しパネルが目に入ります。
五所川原ということで、各年の立佞武多のパネルも置かれています。これで原寸の南分の一なんだろうか、と素朴な疑問が湧きます。
一方こちらは原寸大、なのでしょうねおそらく。隣の自動販売機と比べてみてください。高さと言い幅と言い。
列車に乗るため跨線橋を渡ります。もうすぐ3月も終わりとは思えない雪景色の中、津軽鉄道のディーゼルカー津軽21形が発車を待っています。オレンジの車体が際立つ警戒機同社には、郷里の小説家太宰治による知れば知るほどトホホな小説「走れメロス」の名前を与えられています。
こちらは津軽鉄道のオールドタイマーたち。ただ、ディーゼルカーは痛みが目立っていて、使われている感じがありません。今となっては貴重な車両なのですが……
一方、ここから乗車する快速列車は、こちらの車両です。
さて、どのような鉄道路線であれ、名前には由来があります。よくあるパターンの1つが、起点と終点にゆかりのある駅名や自治体名、旧国名等をつなげたものです(仙石線、京葉線、阪和線、土讃線等々)。
ところが、いろいろな理由で、つながっているのが必ずしも起点と終点とは限らない場合があります。五能線もその一例で、路線名は五所川原と能代の両駅に由来します。残る五所川原・川部間はと言うと、もともと私鉄の陸奥鉄道が建設して営業していた路線を国が買収し、五能線に編入したものです。
今回「乗り通す」という、本来なら端から端まで乗車する場合を表すような表現を使ったのも、路線名からすれば五所川原・能代間でも表現上おかしくはないのではと思ってのことです。それに、五能線と言えば日本海沿いの車窓風景が売りになっているわけで、だからって岩木山麓に広がるリンゴ畑の間を走る五所川原・川部間もそれはそれで旅情を感じるのですが、ある意味目立つ区間を一気に走り切る感はあります。
というわけで、列車は能代に向けて発車しました。もっとも、いきなり日本海側まで出るわけではありません。まずは先程買った地酒のワンカップを入れて、のんびり揺られます。
海に出るまでは水田地帯を走ります。何べんも言いますが、3月末です。
ただ列車が進むにつれて、左手からは山が近づいてきます。そして鯵ヶ沢駅に近づくと列車は大きくカーブ、右手からはいよいよ日本海が迫ってきました。
そして鯵ヶ沢駅到着。五所川原から各駅に止まっていた列車は、ここから能代まで名実ともに快速運転に入ります。日本海沿いの絶景も、ここから本格的に始まります。
真冬ほどではないにせよ、波しぶきが上がる日本海。すっかり見慣れた土佐の太平洋沿岸よりも、よほど遠浅の印象です。
車窓の遠く、海に大きく突き出た岬が見えます。五能線は岬を突っ切ることなく、海の際を蛇行していきます。
弥生も末とは言え、春まだ遠しという海岸沿い。この辺、田植えはいつぐらいなんでしょうね。
荒波に洗われる海岸線は砂浜など限られ、防波堤か消波ブロック、あるいは武骨な岩が目立ちます。
「千畳敷」という地名は、外洋に面する平らな岩盤地形を表すものとして、日本各地に見られます(まれに内陸にもありますが)。
遥かに見える灯台が立つのは岩の上。遠目からは草木がまるで見えません。日本海の荒浪とはかくも厳しいものか。
天気が良いので、温暖そうに見えるかも知れませんが、たぶん、外、寒いですよ。
大戸瀬、風合瀬、驫木、追良瀬。荒涼とした心象しか生み出さない難読駅を、列車は駆け抜けていきます。
列車は深浦駅に着きました。ここで弘前行と行き違います。西に向かって日本海へと開けた駅は夕陽の名所らしく、観光案内にも夕暮れの景色が描かれています。
深浦を出た列車は引き続き快速運転。車窓からも相変わらず、波の高い日本海が望まれます。
風力発電の風車が見えてきました。そりゃ建てますよね。
と思っていると、列車は徐々に速度を落として、目の前に今までとは似ても似つかない、整然とした街並みが現れました。リゾート施設ウェスパ椿山です。
荒浪打ち寄せる日本海沿岸から、洋風の街並み。じゃぁヨーロッパのどこなんだと言われると答えに窮するのですが、ともあれ演歌の風景から童謡の世界に来た気分です。
駅の傍にある物産館「コロボックル」。アイヌ伝承の小人の名を冠した建物の通り、尖った屋根の時計台のある建物に、三角帽子の小人が登っています。遊び心のある建物ですが、洋風の「風」たる所以でもあります。
そんな施設を後にすると、陸奥赤石、陸奥岩崎と、また青森の日本の漁村の風景に戻ります。ただ、今まで走ってきたところよりも家が多く、ひしめき合っている感じです。この辺の違いがどういう理由かは分かりませんが。
十二湖の辺りで、またも奇岩の並ぶ海岸線に出てきました。これだけの景勝ですが、白神山地にある湖の方が有名になっていて、駅名もそちらを受けています。
なおも続く海岸線。左手に迫る世界遺産よりも、どうしてもこちらに目が行きます。
ただ、移動続きで疲れも出る中、朝酒も効いてきます。秋田県との県境の辺りからか、徐々に意識は遠のいていきました。
そして気がつけば、列車は能代に着いていました。次の東能代で乗り換えですが、接続時間はあまりありません。
急いで支度をしている間に、列車は終点東能代に到着しました。降りるとすぐさま奥羽本線の電車が到着。ローカル線の旅情からいきなり引き戻されます。
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