先日参加してきた第14回アジア太平洋社会学会。研究発表以外にも興味深かったので、いくつか写真を交えてご報告したいと思います。
今回の会場は星槎大学箱根仙石原キャンパス。主催者側が小田原に宿を確保してくださったので、そちらに宿泊しました。本来は金曜日午後からのスタートで、夜にレセプションもあったのですが、授業があったために参加できず、金曜深夜に小田原について土曜朝からの参加です。
小田原から会場まではシャトルバスを用意していただきました。道中で箱根駅伝の5区・6区のルートの一部を通ることになり、妙にテンションが上がりました。今は廃道になったとはいえ、函嶺洞門を見た時には感動しましたよ。
朝が早かったので、ご飯には駅前東口のパン屋で買ったあんぱんを車内で頂きます。普段買うものの倍ぐらいの値段でしたが、これがおいしいのなんの。あんはたっぷり、というかあんぱん=あんの入ったパンではなくて、あんの塊をパンで包んだという表現が適切な程のボリューム感。それでいて甘さはまるでしつこくなく、つぶあんのつぶがアクセントになっています。
それにしても、あんぱんって良いですね。菓子パンの中では脂肪分が少なく高たんぱく、適度なカロリーも取れてほぼ完全栄養食。あんぱんと明太フランスは広く世界の人々と共有すべき発明だと思います。
さて、バスは山道を縫うように走って目的地到着。星槎大学箱根仙石原キャンパスです。玄関でスリッパに履き替えて中に入ったのですが、いわゆる大学の建物とはどこか妙に違う。
何故か、エンゼルス大谷のユニが掛かっています。
……と、そういう問題ではないのです。中がどうも小中学校っぽいのです。高校っぽくも見えなくないですが、それにしては規模が小さめな感じです(失礼)。オープニングセレモニーがあったのは、どう見ても小中学生の体育館ですし。
そして午前のセッションの会場に行くと、さらに驚きの光景です。
音楽室やないか~い。
いくらなんでも大学として使う目的の設備やないろう、と思っていたら、はたしてその通りでした。
ここはかつて箱根町立仙石原中学校だったところ。その校舎を引き受けたのが星槎大学ということのようです。それにしても、海外から来られた参加者の皆さんがどういう印象を持たれたかが気になりますね。
館内を歩くと、小さな雛人形がいくつも置かれています。ご存知の通り今は10月、時期外れと言えばその通りですが、これには謂れがあります。
7年前になった東日本大震災。2,544名もの方々が、いまだ行方不明となっています。そんな方々への思いを込めて作られたのが、これらの「還りびな」です。
少しずつ増えていった雛の数は、まだ帰らぬ方々の数にいつしか並びました。最近では海外での展示も実現するなど、徐々に注目を集めています。今回の大会では、地震と津波の被害を受けたばかりのインドネシアからも多くの参加者が来ていたこともあり、参加者の心を小さからず打ったようでした。
さて、この後に当方の研究報告。詳しい話は以前のエントリに譲りますが、練習なしでも何とか時間はもたせられるという実感と、これで十分練習していたら少しはマシな出来になったろうにとの反省とが入り混じる結果となりました。
ただ、終わってしまえば全て過去の話。緊張感からも解放されて、あとはレセプションを待つばかりです。
今回のレセプションでは、カレーやキムチ、麻婆豆腐等、日本でお馴染みとなった国際食が並んでいます。イスラム圏からの参加者も多いため、菜食料理もあります。
ビールは箱根オリジナルのラベル。サッポロビールが生産するのは、やはり箱根駅伝のスポンサーだからでしょう。ちなみに、行きしなのバスでインドネシアからの参加者に箱根駅伝の話をしたのですが、なかなか上手く伝えることができず苦労しました。「バイクか車のレースなんですか?」「いや、自分で走るんですよ!足で!」「ホント!?」ってな感じで。
日本での大会で日本酒を外すわけにはいきません。箱根の地元のお酒は好評だったようです。
2日目は午前が研究報告のセッションで、午後からは周辺のエクスカージョンと、クラフト教室に分かれます。エクスカージョンも気になったのですが、歩き回る格好ではなかったので、クラフトの方に回ることにしました。
こちらは南天の枝に9体の小さなさるぼぼを乗せるというもの。「苦難が去る」という意味が込められているそうです。
これが完成したもの。残念ながら私の作ったものではないのですが。
こちらでは桃のぬいぐるみを作っています。この団体は還りびなをつくっているところで、活動が縁で岡山とのつながりがうまれたところ、7月の西日本豪雨で被害を受けたのを知り、そこからの復興を祈念して作っているとのことです。
さて、午後の予定が終わり、閉会式です。ここでは優秀発表に対する表彰が行われました。実は当方、表彰があるというのをギリギリまで知らず、もっと前から知っていたらみっちり練習したのにと後悔。ただ、2年後はフィリピンで開催とのことですので、そこで捲土重来を期すことができればとは思います。ただその前に先立つものが……
というわけで、2日間お世話になりました。まだかつての中学校の銘板が残る会場を後にします。
で、ここから羽田付近で一泊して、朝一の飛行機で帰高、ジビエグルメフェスタに向かったのでした。その後の話はこちら。