三次行の列車が口羽駅を後にしました。ここからは全通前の三江南線の区間、終着の三次までは1時間程です。
すっかり暗くなった車窓の外はほとんど何も見えません。車内に目を向けると、沿線の四季折々の風景を写した写真が各所に飾ってあります。
写真は沿線活性化を目指してきた人々によるもの。
廃線は決まってしまいましたが、人々の暮らしは続きます。その中に、遺構となる三江線がどう関わっていくのか。人々は、どう関わらせようとして行くのか。つい先日、廃線後の高千穂線を訪れただけに、気になるところです。
久々に、窓の外に街の灯が並ぶようになりました。終着三次はもうすぐです。
三次駅着。三江線の旅が終わりました。
ホームに降り立った人々を迎える横断幕。こちらは通りがかりの旅人でしかないのですが、それでもどこか心が和らぐのを覚えるところがあります。
3時間半余りの旅を終えた2両のディーゼルカー。乗客を降ろして、しばし休憩です。
乗客のほとんどは早々に去り、写真を撮ろうとする人も私ぐらい。ホームも車内も、すぐに静まっていきました。
ホームの反対側と向こうの1番線には、旧国鉄時代からの車両が停まっています。かつては三江線にも、このサイズの車両が走っていたのでしょうが、今のようなブームでもなければ、そこまで大きな車両を走らせる需要はないわけで、小型の車両が使われるようになっています。
江津から乗ってきたものと同系の車両が、留置線で休んでいます。三次から広島方面を除けば、この辺りはすべて閑散路線、今はこの形式の車両の独壇場です。
跨線橋を渡って改札まで来ると、三江線の利用案内が出ていました。
「三江線多客期間」という言葉に一瞬戸惑い、こんな案内が出る程賑わっているのかということに驚きを覚えました。そして、そんな賑わいの原因を思って憂鬱を感じ、もし別の形で、もう少し早く賑わうことがあればと思わずにはいられませんでした。とはいえ、まさに自分が廃線決定を機にここまで来たわけで、まったく己を棚に上げた感慨ではあるのですが。
改札には三江線の次の列車の案内が出ていました。多少の未練を感じました。
ただ、この列車が終列車。浜原まで行ってしまうと、三次には戻れません。三江線の旅はもう終わったのです。そのまま三次駅を後に、宿へと向かいました。