モネの庭マルモッタンのギャラリー隣には展示場「フローラルホール」があり、ちょうど「まるごと東部博」のイベントとして、魚梁瀬森林鉄道の展示がありました。本来なら今回の旅で馬路村も訪れ、森林鉄道の保存運転にも乗りたかったのですが、予定上断念した経緯があるだけに、これは勿怪の幸いと覗いてみることにしました。
入り口には「東部博パビリオン」と書いていますが、いわゆる博覧会のように特定の会場に期間限定の施設がたくさん作られているわけではありません。高知県東部9市町村各地で、さまざまな展示やイベントが分散して登場しています。なかなか足が向かない土地に向かうきっかけにはなります。
パビリオンでは魚梁瀬森林鉄道を再現したさまざまなジオラマや、かつての機関車の模型が展示されています。
インクライン区間以外にもジオラマはあります。こちらは魚梁瀬森林鉄道の橋梁。奥が鉄橋で手前がコンクリート橋ですが、手前側は戦時中にかけられた橋とのことで、鉄骨が入ってないような話もあります。
材木搬出で賑わう駅。 材木を積んだ貨車が何両も続く後ろに、1両だけ客車がついています。森林鉄道なのであくまで貨物優先と言えばそれまでですし、それだけ林業がおカネになっていたということでしょう。当時大型のトラックやバスが入れる道路がなかったという背景もあります。
こちらは貨車や客車が急な傾斜面を登れるように敷かれたインクライン。原理はケーブルカーと一緒で、上り下りの車両をケーブルで結び、下っていく車両の力を利用してもう一方の車両を引き上げるというものです*1。というと、ケーブルカーと何が違うのか、と思う方もいらっしゃるでしょうが、旅客輸送がメインなのがケーブルカー、貨物輸送がメインなのがインクラインと思えば良いでしょう。
インクラインでもケーブルカーと同じように、途中で上下の車両が行き違うポイントができています。が、……ん?何かがおかしい。
よくよく見てみると、行き違いの部分を除いて、レールが3本あります。ほとんどのインクラインやケーブルカーなら、行き違いのところを除いて単線で、レールは2本だけです。ただ、この場合線路の分岐部分や車両の台車を特別なものにする必要があり、インクライン区間だけの車両を用意するか、この区間だけ台車をはき替えることになり、その分出費も手間もかかります。レールを3本にしてしまえばそんな必要はないわけで、インクライン区間の手前で上下の車両が揃えば、あとはケーブルで結べばこの区間をそのまま通れることになる、というところでしょうか*2。
マニアックな話が続いて済みません。こうして材木は山から海岸沿いまで運び出され、船で出荷されていきます。こちらは奈半利の貯木場ですが、船に直接積み込めるように海まで線路が出っ張っています。これは実物を見たかったですね。
ジオラマよりはかなり大きめ、森林鉄道で活躍した機関車の模型です。
材木の後ろにトロッコが連結されています。
こちらは客車を牽いています。模型は木製ですが、実際の客車も木製だったのでしょう。何せ売るほど木があるわけですし。
ジオラマに登場する森林鉄道の各種車両については写真も展示されています。機関車、客車、貨車といい、今見慣れている車両からすればかなり簡便な作りです。
森林鉄道が現役だった頃の各地の写真。これがジオラマの元となっているわけですね。それにしても、インクラインの傾斜には驚かされます。
材木の積み込みと搬出場所。先ほどの奈半利の桟橋もあります。こうして、土佐の杉は山奥から太平洋へと向かっていったのです。
魚梁瀬森林鉄道は戦後のダム建設に伴い廃止され、線路が撤去されました。もっとも、ダム建設がなかったとしても、道路の整備によって、いずれは役割を終えていたことでしょう。
ただ、その存在は、盛時を体験した人々の中に今も確実に残り、実際に見たことのない人にとっても興趣の尽きないものとなっています。まして鉄道の遺構は馬路村と北川村の各地で残っていますし、保存運転も馬路と魚梁瀬の2ヶ所であるほどで、早く見て乗ってみたいと気が焦っているのが正直なところです(苦笑)