太平洋を付かず離れず走る列車は、海の王迎駅に到着しました。ホームに降り立つと、この辺りには珍しい、都市郊外にあるニュータウンのような風景が目に入ります。
すくものはなちゃん列車が上川口へのトンネルに吸い込まれていきます。これだけを見れば、他の駅とそう変わらない風景です。
しかし、その右手には、整備された2車線の道を挟んで、造成地の端が見えます。
高台に築かれた造成地に、一戸建ての家が並んでいます。大都市圏のものからすれば小さな規模ですが、まぎれもなくニュータウンの戸建て住宅の風景です。
駅から見る太平洋。その手前にも、住宅地の風景が入り込みます。海沿いの田舎の風景が続く中村線の沿線では、他に二つとない場所です。
駅に続くのは、車いすがすれ違うには僅かに幅が足りないぐらいのスロープ。ここから駅の外に出てみます。
駅前にある新し目の駐輪場に停まっているのは自転車1台だけ。パークアンドライドの幟も立っていますが、自動車が停まるスペースも僅かなものです。
駅からの坂を上がってみると、さらに奥も住宅地になっているようです。どこまで続くのか気にはなりますが、民家を覘くようで気後れがしてしまったのと、海の王迎というからには海にもいかないといけない、という妙な使命感から、引き返すことにしました。
片側とはいえ歩道まで整備された道路を通り、海に向かいます。こうして見ると、駅自体もかなり新しそうです。
さらに坂を下っていくと、国道56号との三叉路に着きました。この向こうが太平洋の浜辺ですが、交差点のほとりに何やら石碑が立っています。
碑文には尊良親王上陸地と記されています。ここは後醍醐天皇の皇子尊良親王が元弘の乱で敗れた際に配流となったところで、海から王を迎えた土地というのが、駅名の由来となっているそうです。
付近について記した案内板。決して古いようには見えないのですが、文字の多くは風化してしまい、読むのは非常に難しくなっています。
王無浜の海岸。今から700年近く前、親王もこのような砂浜を見ながら、捲土重来を期していたのでしょうか。
振り返ってみると、高台に分譲中の文字が国道に向けて掲げられています。
しかし、高知県内で大規模な都市と言えば高知市ぐらい。その高知市に通勤・通学などとてもできるようじゃない土地に、なぜこのような分譲住宅地ができたのか、不思議と言えば不思議ではあります。
その住宅地を通りがかった後の、国道56号線の高知市方面。高速道路があるのは窪川から、高知市までは1時間半以上を見ておかないといけません。
国道56号線の西行。一番近い市街地は旧中村市、こちらは通勤・通学とも問題ありません。もっとも、高知市と比べれば人口・経済規模はかなり小さくはありますが……
駅に戻ってきました。いかにも新しいですよと言いたげなメタリックの柱には、鯨のイラストが施してあります。
海を背にして、小さな屋根があるだけのホーム。白線は最近になって引いたのか、下書きがまだ残ってます。
津波34メートルで知名度の上がる黒潮町ですが、どこもかしこも津波がそこまで高くなるわけでなく、この辺りは予測では浸水は免れるとのことです。それでも、20メートルぐらいの高さまで津波が来ても驚きはしませんが。
ホーム反対側の風景。これだけ見れば夏の田舎の風景、他と変わったところはありません。
他の駅では見かけなかった警報機を見つけました。直線の間にある駅なので、特急は結構な速度で通過していくのでしょう。
そんな駅の昼下がり、下りの普通列車がやって来ました。これが普通では本日最終の1つ前。1時間半ほど後に再び中村行の普通が出れば、この日の下りは全て特急が通過するのみになります。