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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

シリーズ土佐の駅(137)下山駅(土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線)

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 伊尾木からのバスは国道55号線を走っていきます。下山駅に最寄りのバス停を運転士さんに教えてもらって降り立つと、ビニールハウスの海の向こうに駅が見えました。

 

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 運転士さんからは「結構歩きますよ」と言われたものの、5分程で駅に続く道に出ました。ビニールハウスが軒を連ねる駅前通りというのもなかなか経験しないものですが、ともあれ駅へと真っ直ぐ通じる道を歩いていきます。

 

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 下山駅に着きました。木造の大きな駅名標が立っているのですが、ごめん・なはり線の他の駅なら必ずいるはずの、キャラクターの像がありません。

 

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 駅への階段を上がって振り返ると、ハウスの海の向こうはすぐに本物の海、太平洋。わずかな平地の真ん中を国道が走り、平地と山林を鉄道が切り分けています。

 

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 冬なのに降り注ぐ日差しに、写真もすっかりあてられてしまいましたが……

 下山駅は上下行き違いができる駅で、この時間は奈半利方面の列車が奥の2番線から発車します。見ると、この通路部分が建設されたのは1969年。土佐電の安芸線がまだあった頃に、既に出来上がっていたのです。

 調べてみると、この区間を含む安芸-田野間の着工が1965年。当時の国鉄阿佐線は、思ったよりはるかに早く建設が始まっていました。そのペース次第では、今よりも営業区間は伸びていたかも知れないと思うと惜しまれます。

 一方で、もし土佐電安芸線も廃止にならなかったとしたら、後免-安芸間に別に鉄道を敷くことはなかったはずで、国鉄の列車と土佐電の路面電車がともに後免から安芸まで同じ電化路線を走るという、かなり珍奇な取り合わせになっていただろうと、想像をたくましくしてみます。

 

■ 【ゴトゴトweb】 ごめん・なはり線の歴史

 

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 2番乗り場の手前に来ると、山への細い道が通じていました。改札もない無人駅、正面通路以外の道があっても不思議はないですし、何より南海トラフ地震津波から逃げるには、高台に通じる道がないと致命的なのです。

 

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 2番乗り場に着くと、ようやくキャラクターが迎えてくれました。どういう理由かは分かりませんが、彼女だけ他の駅のキャラクターとは立ち位置が異なっています。

 

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 しもやま ちどりちゃん。安芸市出身の作曲家弘田龍太郎による唱歌「浜千鳥」にちなんだキャラクターです。

 

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 築堤上に上下2面2線のホームが相対する下山駅。山と海に沿って湾曲しています。

 

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 目指す奈半利方面は、単線に戻ると海まで迫る岬をトンネルで貫いていきます。

 

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 安芸方面は、右が山、左が集落、さらに左が海。遠めにかすかに見える安芸市の市街地まで、山と海に挟まれた狭い間を、国道55号線とともに縫っていきます。

 

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 安芸方面からの列車がやって来ました。ディーゼル音をあらためて唸らせながら、徐々に速度を緩めていきます。

 

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 われわれ以外誰もいないホームに、列車が入ってきます。トンネルを抜けるとさらに細くなる平地を列車は走り抜け、安芸市にしばしの別れを告げていきます。