今のはりまや交差点が完成し、とさでんの東西南北の線路が交わるようになったのは1928年(昭和3年)。年が明ければ90周年、今や路面電車どうしが十字に交わる日本唯一の交差点を、今日も幾多の電車が行き交います。
東西方向の自動車用信号が青になりました。これからまた、交差点は賑わい始めます。
ひっきりなしに自動車が行き交う中、橋のたもとでは痛電車が信号が変わるのを待ち続けています。
交差点の南西側、歩道の脇を見ると、遍路道を示す石柱が立っていました。
車や電車が走り抜ける大交差点のイメージからすると、いささか意外な気もしますが、賑やかな街を歩く巡礼の人々の姿も、高知市内の日常です。
はりまや交差点を行き交う電車は、基本桟橋線が南北、伊野線・後免線の直通電車が東西に交差点を走りますが、一部は交差点を曲がって別の路線に入ります。
たまたま見かけたこの電車は、桟橋車庫から桟橋線のはりまや橋停留所を出て、後免線に入る運用です。つまりは南から北に行く線路から、西から東に進む線路に映ることになります。ただ、直接曲がる線路がないので、いったん左に曲がって西行の線路に入ります。
電車は伊野方面行の2番乗り場を通過した後、向きを変えてポイントを渡り、後免方面行き1番乗り場に到着。これではりまや橋停留所には2度目の停車です。
客扱いを行っている間に、後ろから別の電車が来ました。この辺りでは昼間でも電車が多いので、数珠つなぎになることもままあります。
押し出されるように駅を出て、交差点に入る文殊通行の電車。途中で伊野行とすれ違います。こちらも塗装の通りの痛い電車ですが、先程とは別の車両で、形式も異なります。
前に停まっていた文殊通行が去ると、後ろにいた電車がホームの先まで進んできました。ただこちらは東行ではなく、南の桟橋車庫前行。この電車も直接交差点を右に曲がれないので、いちど左に曲がってから方向転換、そして転線することになります。さっきの電車が直進したので、ここでポイントを切り替えないといけません。まさか手動というわけにはいかず、かといって全自動にするのも相当の費用が掛かるはずです。どうしているのか?
交差点の手前側をよく見ると、通常の信号機とは別に、こんな少し変わった信号があります。
以前運転士の方に聞いた話では、これがポイントの向きを示しているとのこと。信号の左側、いま点灯しているカギカッコ状の現示は「左折」、右側は「直進」方向にポイントを切り替えるということです。
はりまや交差点の南・東・西それぞれの停留所に着いた電車は、まずこの信号を確認し、電車の行先の向きが点灯しているときに電車を動かし、すぐさま停車させます。北側には停留所がありませんが、電車はいったん停車して、この信号を確認してから発車、すぐさま停車します。すると、行先方向にポイントが固定され、別の電車用信号が黄色い矢印を示した時点で、交差点に入って正しい方向に進めるようになるのです。
ただ気になるのが、どこで電車の動きを検知しているのか。多くの路面電車では、架線上に「トロリーコンタクター」と呼ばれる装置がついていて、これが電車の動きを検知するのですが、はりまや交差点の架線を見た限りでは、それっぽいものは見つかりませんでした。
(トロリーコンタクターについて)
私が見落としただけなのか、あるいは軌道上の回路など、別の方法を使っているのか?当時の運転士さんの話からすれば、おそらく後者だと思いますが(確か「レールを踏めば」って言ってたような気が……覚え違いかも知れませんが)、機会があれば尋ねてみたいものです。
ともあれ、ポイントは左に切り替わり、電車は高知駅前行の線路に移りました。この先でさらに方向を変え、桟橋方面行の線路へと進んでいきます。
電車はひっきりなしにやって来ます。今度は東西に走る電車が2両。前はおそらく伊野線を全線走り切り、後免線の途中の文殊通止まり、後ろはこれから後免線の終点の後免町までを走破します。
日高村の全面広告ラッピングが施された電車。「ごめん」の行先表示板を大きく掲げ、交差点を渡っていきます。
高知駅前から始まった、土佐の鉄道駅の旅。県内東西南北を走り回り、最後の駅に登着しました。たどり着いた先は、どこからどうみても終着駅に見えない、県内中央のはりまや橋です。実際、これで終わったのは一人の旅だけでしかありません。
線路はここから延びていきます。東に、
西に、
北に、
南に。
高知の鉄道は、今日も、明日も、各地へと走り続けます。