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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

『アジア動向年報1970-1979:モンゴル編』(バンドル版)公開。解説を担当しました

 

 1970年代のモンゴルの動向をまとめた『アジア動向年報1970-1979:モンゴル編』(バンドル版)がこのほどオンライン公開。解説を担当しております。ご一読のほど。

 

 

 『アジア動向年報』による各国・地域の10年分の内容をまとめたバンドル版が順次刊行されています。このほど1970-1979バンドル版がオンライン公開されました。『アジア動向年報』は1970年からの刊行なので、2020年代を除けばこれで一通りバンドル版が出そろったことになります。

 本編も当方が全体の解説を務めさせていただきました。公開された後だから言えますが、本編の執筆のオファーを頂いたときは他の時代と違った大きな不安がありました。というのは、「ページを埋めるほどのネタがあるのか?」。1970年代にわざわざ書くほどの動きがはたしてどれだけあるのか、ということです。

 いやだって、

  • 国内政治:ツェデンバルの支配体制が盤石でした、終わり。
  • 経済:社会主義計画経済推進中。鉱工業は発展したけど農牧業はイマイチ、終わり。
  • 対外関係:対ソ連関係最優先、中国とは敵対、終わり。

 これ以外書くような動きってあったっけ、というので頭が痛かったのです(実は対外関係では絶対に外せない出来事があるのですが、それは後述)。

 ところが、当時の年報をよくよく読んでみると、確かに動きが乏しいとして、なればこそ押さえておくべきことが2つあると気づいたのです。

 その1つは、「動きが乏しいことこそに変化が潜んでいる」ということ。同じように動きがないようでも、それが安定である場合と停滞である場合があるのです。そして、1970年代のモンゴルは、目立った動きが乏しいことによって、まさに安定から停滞に向かっていたのが見えてきたのです。

 もう1つは、「小さな出来事がいつか大きな流れにつながる」ということです。政治で言えばツェデンバルの後継者となるバトムンフの登場、経済で言えば社会主義体制の下での綱紀弛緩、対外関係では西側諸国を世界各国との国交樹立拡大がそれに当たります。

 そして、先程「絶対に外せない」と書いたのが、1972年の日本との国交樹立です。2度の交戦が終わってから30年経たない間に実現した国交樹立、さらに1974年の文化交流取極締結、1977年の経済交流協定は、モンゴルと日本の関係だけではなく、この間のモンゴルの対外関係を語る上でもきわめて重要な出来事なのです。

 確かにツェデンバル体制に揺るぎのないこの時期、国交が結ばれたとはいえ、モンゴルと日本との関係は疎遠でした。両国は異なる陣営に属していましたし、日本に対する戦勝は社会主義モンゴルにとっていわば「存在理由」なわけで、そう簡単に関係が良くなるはずがありません。

 ですが、いや、だからこそ、この当時に両国の関係・交流を拡大すべく尽力した人々の功績は讃えられるべきだと思うのです。日本でモンゴルと関わるのであれば「変わった人」扱いで済んだと思うのですが(今も変わらんかな)、当時のモンゴルにおいて日本と関わることがその程度で済んだかどうか。相手はかつての交戦国、公的には「軍国主義」批判の的となる国です。その日本の関係や交流に携わるのが当時のモンゴルにおいてメリットのある選択だったかは、正直なところ疑問を感じるところです。言ってしまえば、出世したければソ連や東側諸国との外交や取引に関わる方が賢いだろうに、って話です。

 にもかかわらず、ソ連の衛星国と言われたこの当時のモンゴルで、対日関係をより良くしようとした人々がいたわけです。そして何より、日本側の人々も含め、当時の人々の尽力があったからこそ、昨年の天皇皇后両陛下ご訪問に至る日本・モンゴル関係の発展と拡大があったわけです。1980-1989年バンドル版の内容とも重なりますが、こうした人々の取り組みは記憶、記録されなければなりませんし、微力でもそのために貢献するのは日本の現代モンゴル研究者の使命であると考えています。

 とかいろいろ書きましたが、はたしてそんな偉そうなことが言えるだけの解説になっているかどうか?それは実際にご一読いただき、その上で判断を仰げればと思います。以下のリンク先で無償公開されていますので、ご笑覧ください。

 

ir.ide.go.jp

 

 冊子体も刊行されると思いますので、その際はまたあらためてご報告できればと。