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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

阪神電車の記録から

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 震災を生き抜いた阪神電鉄についてはこれまでにもエントリにしましたが、今回はまだ取り上げていなかった写真を。

 

 

 今から31年前、阪神・淡路大震災によって全線で被害を受けた阪神電車。そこからの歩みについては、これまでも書いてきたところです。

 

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 ただ、被災を経験しながらこれまで紹介できていない車両はまだありますので、ここで取り上げてみたいと思います。

 

 

 準急甲子園行というので相当古い写真なのがバレてしまうのですが、阪神電車8000系8213号車。震災で6両編成のうち中間車3両が廃車となり、神戸側の先頭車両とは切り離され、大阪側2両を失った8217編成(と書いたものの、その8217号車が被災廃車となったうちの1両)4両と編成を組むことになりました。

 

 

 その8217編成の神戸側先頭車両8218号車。実は8213編成と8217編成では冷房の形と数が違っていて、そのため屋根が不揃いになっています。それぞれの車両の頭上を見ると、先程の8213号車は真上に冷房が見えた一方、8218号車は屋根に冷房が乗っているのが見えにくくなっていると思います。この編成から冷房が集約され少なくなっているためで、横から見ると冷房の大きさと形の違いは一目瞭然です。

 

 

 先程リンクしたエントリの主役、8502号車。長らく直通特急からは除外されていたのですが、近年になって運用されるようになりました。こちらも山陽電車高砂駅で撮影したものです。

 

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 先程の8000系と並び、2000系も多くが震災に遭遇しました。とくに2201編成は6両全滅、2213編成は1両だけが生き残り、逆に1両を失った2215編成に組み込まれました。

 この2207編成も石屋川車庫の倒壊に巻き込まれますが、幸いにして全車が復旧。

 

 

 同様に、この2211編成も石屋川車庫で被災しながら全車復旧。その後も10年以上本線で活躍しましたが、既に引退しています。

 

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 震災から30年以上を経て、当時と今では顔ぶれがかなり変わりました。震災を経験した青胴車(普通用車両)は既に姿を消してしまい、残る赤胴車(急行型車両)も後に塗装が全く変わってしまいました。

 ですが昨年、震災から今まで生き抜いてきた8000系について、かつての赤胴車のデザインが復活するというニュースが入ってきました。

 

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 そして去年夏、久しぶりに阪神沿線に行く機会があったところ、それは思いがけずやって来ました。

 

 

 かつて当たり前に目にした赤胴車が、目の前を軽快に走っていきます。

 

 

 しばらくして、先程の8215編成が梅田から折り返してきました。赤胴車だけではなく、自分がこの地に戻ってきた、そんな感覚を覚えました。

 震災は辛く、苦しい経験です。ですが、当時の様子を残すものが単になくなっていくものもまた、自らの経験が消え、自らが忘れられていくような、いやそれだけではなくて、震災前の日々、震災を経てからの日々が消えていくような、「風化」という言葉だけでは捉えきれない断絶と、それによる居場所の無さを感じさせるものでもあります。

 そんな中で、もう二度と見るとは思っていなかった赤胴車は、そんな断絶や居場所の無さから自分が引き上げられるかのような感覚を残していきました。というと随分話が逸れた気もするのですが、ここが自分の生まれ育った土地で間違いなかったのだ、自分にとってこの地は決して「他者」になっていなかったのだという感覚は、震災を単なる事件だとか歴史だとか教訓だとかではなくて、自分が生きた経験として取り戻すことでもあるだろうとは思います。無論ない方が良かった経験ですが、そこから断ち切られてしまうのは、自分の心身の欠かせない一部分が自分から断ち切られるような感じがするので。