
広島電鉄駅前大橋ルートに乗った翌日、高速バスが出るまでの時間、原爆投下と終戦から80年となる広島市内をひろでんで巡りました。
広島電鉄の新線区間、駅前大橋ルートに無事乗車、日本の鉄道営業路線完乗記録防衛を果たした翌日。高知行のバスは夕方の出発です。午前中のバスもあったのですが、広島を出るのが8時台と、あまりにせわしない。なのでこの日は溜まった代休を消化することにして、広島市内を電車で回ってみることにしました。なお駅前大橋ルートについては下記エントリにて。

早速稲荷町の電停へ。広島駅に向かって5100形、Green mover maxが左折しているところです。その割に赤いのですが、こちらはJR西日本とのコラボ企画で、広島近郊を走るJR227系の塗装に変更しているとのこと。國鐵廣島はすっかり歴史になったんですね
■ 広島電鉄・JR西日本によるラッピングコラボトレインを運行!(広島市・JR西日本・広島電鉄)

乗り込んだ電車の車内には、今年も行われるピースナイターの告知。となりにやなせたかし先生の展示会の広告がありますが、こちらは筆で有名な熊野町の攻防で行われているそうです。

こちらも5100形。広島電鉄の主力の1つとなっています。

同じく5100形。カープ電車があるからにはサンフレッチェ電車もあります。昨年のモンゴル学会が広島であって、新たにできたエディオンピースウイングスタジアムの近くを通りかかったのですが、観ているだけで気分が盛り上がりました。来年の天皇杯で対戦できないものでしょうか。

一方で古豪も頑張っています。こちらは元大阪市電の750形。ベテランなだけに朝夕のラッシュ時だけの運転になりそうなものですが、この日は昼間も休まず走っています。

ここからは6系統の1000形電車に乗って江波へ。先程の5100形と似ていて、超低床車なのは一緒ですが、こちらは車体が短い分、あらゆる路線に乗り入れることができます。

終点の江波まで着いて電車を降りました。ここにはひろでんの車庫があるので、見ておきたかったのです(以下は安全かつ電車・道路運行の妨げにならない場所を確保して撮影しています)。

車庫の奥で650形653号車と150形156号車が休んでいます。特に調べもせずに行き当たりばったりで来たのですが、はたして見ることができました。
650形と150形は80年前の原爆投下当時に広島市内で被爆、被害を受けながらも生き残って復活。現在では156形は営業運転に出ることがなくなりましたが、650形は今も現役で走っています。
80年を経て、当時を経験した電車も少なくなりました。ただ、残る車両は今もメンテナンスが施され、原爆投下後の広島の歴史を刻み続けています。

朝のラッシュ時を終え、車庫では他の車両も休憩中。超低床車はどうしても出ずっぱりになる中、車庫にいるのは単行の車両ばかりです。

かつての京都市電が奥に停まっていました。京都市電が廃止になったのは50年近く前のこと、これらの車両も京都出身と言いつつ、広島での暮らしの方が長いはずです。

江波車庫で被爆電車を見学して、原爆ドーム前までやって来ました。

気がつけば明後日は原爆投下80年、素通りするわけにはいきません。

原爆ドームの前に立つ慰霊碑。広島も多分に漏れずインバウンドが増えていて、近くの家電量販店のバッグをもった外国人旅行者を見かけたりもしたのですが、それでなくてもこの時期、平和祈念式典等で海外から来た人も多いのかも知れません。ある外国人旅行者が小さく頭を下げてから、碑とドームの写真を撮っていました。

原爆ドーム。現在は保存のため、あまり近づくことはできません。建物も次代に伝わるべく、風化と戦っています。

原爆投下によって建物内にいた人々は全て即死。当時の内務省職員の名を刻んだ小さな慰霊碑が供えられています。

本川を客船が進んでいきます。結ぶのは、広島の2つの世界遺産。

原爆ドーム前というと、私にはもう1つ、訪れないといけない場所があります。それが、広島市民球場の跡地。広島の復興とともに歩んできた広島東洋カープの本拠地球場の跡地です。
現役時代に何度も観戦に来た球場ですが、新たな球場ができてからは、近くを通っても立ち寄ることはありませんでした。跡地にできた公園の名前も、ここまで来て初めて知りました。

広島東洋カープのリーグ優勝、日本一の足跡を刻む「勝鯉の森」。今も旧市民球場跡地に残っています。それどころか石碑は増え、現球場での優勝の記録が新たに刻まれています。

かつて3塁側スタンドがあった辺りに、ショップやレストランが並んでいます。その向こうで、17年前まで、熱戦が繰り広げられていました。

おそらくこの辺りにあるはずだ、と思ったところに、細長いプレート。やはりかつてのピッチャープレートを祈念したものでした。

プレートの先には、五角形の石板が見えます。

やはりありました。ホームベースの記念プレート。

あまたの名キャッチャーが身構えた場所から、センター方向を望んでみます。
それにしても、広々とした、とはどうにも言い難いこれだけのスペースに、よくもプロ野球の本拠地球場が建っていたものだ。そう思わずにはいられませんでした。

公園内のお好み焼き屋さんで昼食。見ての通りのボリュームで、お腹にずしんときます。この重みと腹持ちこそが、人々が広島を廃墟から立て直す力になったのかと実感します。

原爆ドーム前から東へ。ちょうど旧京都市電の1900形が入ってきました。気にはなったのですが、残念ながら広島駅には行かないので見送ります。

原爆ドーム前を出た電車は、隣の紙屋町西へ。向かいのホームも含め、多くの人々が乗り降りしてホームは混雑しています。
かつて一瞬で奪われた、それぞれの人々にとってかけがえのない日常、営み。
80年後の今、それらがこの地で息づいています。