仙台からの電車は小牛田駅が終着。今回はさらに北を目指します。さらに東北を横断して、夜行で寝ている間に思い切り移動しようという算段です。
前にも書きましたが、小牛田からは鳴子温泉を経て山形県の新庄に至る陸羽東線が分岐しています。普通列車だけの路線ですが、観光キャンペーンに合わせてジョイフルトレイン「みのり」が導入されています。
元となる車両は国鉄時代からの普通列車用ディーゼルカーものですが、大幅な改造を受けていて、落ち着いた色合いの塗装も合いまって、高級感のある外観になっています。
こちらは団体臨時列車用の「ふるさと」。実は先程の「みのり」と同じ系列の車両です。見た目だけなら信じられないかも知れませんね。
「ふるさと」は3両から成る列車です。先程の車両が「月」、こちらは「風」の愛称がついています。
いちばん南側にあるのが「華」。ただし必ず3両ひと組とは限らず、2両でも運転は可能なようです。
……という車両は気になりますが、貧乏ポスドクの私には敷居が高く(苦笑)、何よりスケジュールの都合もあって、再び東北本線の鈍行電車に乗り込んで北上再開です。
電車は宮城県を抜けて岩手県に入り、終点一ノ関で再び乗り換えです。
広告を見ると、自治体としては「一ノ関」ではなく「一関」のようです。ややこしいな、と思ったのですが、考えてみれば私の出身地が兵庫県西宮市で、JRの駅が長らく西ノ宮駅でした。
ここからは色こそ違うものの、同じ系列の電車で盛岡へ。ただ青春18きっぷのシーズンなうえに部活帰りと思しき高校生も多く、空席にはありつけず。仕方がないので、最後部のデッキで過ごすことにします。
盛岡までやって来ました。朝からずっと列車に乗り通しで、とにかく先に進むことばかり頭にあったせいで、この間全然写真は撮っておりません。
ただ、いずれまた通りますし、というか通らないといけないので、まぁ良いとしましょう。
こちらは石川啄木の筆跡なのでしょうか。全く字を崩すでもなく、現代の感覚での丁寧な字、という感じです。
さて、JRの東北本線はここでいったん途切れます。盛岡から岩手・青森県境の目時駅までは、東北新幹線の八戸延伸に伴い、第三セクターのIGRいわて銀河鉄道に移管されています。
その割にJRの車両じゃないか、と思われるかも知れませんが、こちらはJR花輪線の車両です。盛岡から東北本線を少し北に行った好摩から奥羽本線の大館を結ぶ路線ですが、列車は盛岡から発車しています。
この日乗り込んだのは、1日1本の快速「八幡平」。近年まで急行も走っていた路線なのですが廃止となり、唯一残った速達列車です。
出発前にミネラルウォーターを買ってみました。県内の観光地、龍泉洞の水とのことです。
実は、この龍泉洞には苦い思いがあります。今回の旅の計画を始めた時に、まず思いついたのが、龍泉洞の近くまでを走る岩泉線に乗りに行くことでした。国鉄末期に廃止対象になっていたところ、代替バスが走れるだけの道路が近くで整備されておらずに生き延びたローカル線で、同様の例は現在のJR東海の名松線と2つしかない貴重な例なのです。以後、
これまで遠かったりお金が無かったり時間が無かったりでなかなか行けなかったのですが、今年こそと決断して計画も立て、さあ行こう!と思ったこの8月、土砂崩れに列車が乗り上げる事故が起きてそのまま運休になったのです。
ほんの2,3週間旅に出るのが早かったら……ですが、そうなったらなったで、自分が事故に巻き込まれていたかも知れません。
というか、こうなるもっと前に出掛けていれば良かったのです。ペットボトルを開けて、自分の腰の重さへの悔いもろとも飲み干します*1。
列車は十和田南駅に着きました。ここはスイッチバック駅になっていて、列車は向きを変えます。
駅の北側で線路が途切れています。その先も空き地になっていて、かつては線路が敷かれていたと思しいのですが、路線が走っていたわけではありません。
来し方を振り返ると、線路が二手に分かれています。ここまで来たのは左手の線路、これから行くのは右手の線路。どちらもそこそこの勾配です。
スイッチバックができた経緯は分かりませんが、SLの時代なら、そのまま直通する形で駅を置くのは難しかったかも知れないな、とも思います。
夏から秋へと向かう一日。私からすれば早く感じる夕暮れの中、再び列車に乗り込みます。
終点の大館に着いた時には、既に夜。比内鶏につくね棒、いや鶏だからってそうじゃなくてきりたんぽに、忠犬ハチ公、大館にゆかりのあるものを集約したホームに降り立ちます。
ここから秋田まではまだ鈍行の旅です。色違いとは言え、今日一日でこのステンレスの電車はすっかり見慣れてしまいました。
電車は何と言うこともなく秋田着。やはりというかなんというか、改札前では大きな竿灯が出迎えています。
秋田は国鉄時代に車両工場があったところ。駅にはかつて製造されたSLの模型が飾られています。
SLの煙室戸が保存されています。プレートだけとか動輪だけというのはしばしば見ますが、先頭の扉だけがまるまる残っているのは珍しい気がします。
そして、秋田からは寝台特急日本海を利用。夜の間に東北地方に別れを告げて、翌日の中国地方乗りつぶしに向けて、一気に南下します。