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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

気仙沼から陸前高田へ(2019早春の東北一周No.7・みやぎ→いわて)

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 3日目の朝が来ました。この日はJR東日本から三陸鉄道に移管の上復旧した宮古~釜石間を乗り通す日です。三陸鉄道は2年半前に乗りそびれているので、今回は待ちわびたリターンマッチでもあります。

 

 

 早々にホテルをチェックアウトして駅へ。このホテルが本当にかつての従業員寮だったかどうかは分かりませんが、もしそうだったとしたら、これはこれで「震災遺構」なのかも知れない、とふと思います。自然災害としての地震津波だけではなく、その後のさまざまな困難を含めた「災い」に立ち向かった跡としての遺構です。

 そんな時、ふと、かつての仮設住宅を宿泊施設にすることはできないか、という考えが頭をよぎりました。

 自然災害の恐ろしさ、それにどう備えるかを伝えることは大事ですし、既にいろいろな試みがなされています。ただ、災害に遭った後、それも直後ではなくて、何年も続く人々の暮らしや、その中での思いについて記録し、受け継いでいく営みは、どれだけ行われてきたのか、という疑問もあります。災害から生き残れば、そこから先の人生も残るわけで、それをどう生きるかという問いに直面する場面が来ます。私自身、阪神・淡路大震災を経験して思うことです。

 もちろん、そういう記録・継承の営みがあることは私も知っているつもりです。とはいえ、もう少し、広く共有できる仕掛けができないものかと考えた時に、語りだけではなくて、体感的な理解ができる場があっても良いのではないか、という気がしたのでした。

 だとすれば、何年間もの間の住居となる仮設住宅での暮らしを、短期間でも体験する場があった方が良いかも知れない。よしや、被災した人々の暮らしそのものを追体験はできずとも、時間を超えてでも同じ空間を共有することで、災害から何年も経った後も被災していることについて、他人事としてではなく理解をしようとするきっかけは提供できるのではないか。あるいは、そんな宿泊施設は既にあるかも知れませんが、ふと思ったのでした。

 閑話休題。外に出て見ると強い風が吹き荒れています。吹き付ける早春の東北の冷気に、自分たちが南国から来たことを実感します。というか、こんなことでもなければなかなか実感できなかったりするわけですが。

 ただ、風が吹き付けるのは後ろから。上り坂でも下り坂でも追い風で、駅まで歩くには好都合と言えなくはありません。勢いよく押してくる風に「きゃー♪」「わー♪」とか言いながら、駅へと向かったのでした。

 

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 気仙沼駅。予定より2, 3分は早く着けたかも知れません。

 

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 この数年間ポケモントレインが走る東北地方。駅構内にもポケモンが集まっています。

 

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 もっとも、列車が来るのは気仙沼まで。かつて一ノ関と盛、そして南三陸方面の要衝だった気仙沼駅は、盲腸線の行き止まり駅になってしまいました。

 

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 この日はまずBRTで盛まで出て、そこから三陸鉄道に乗ることになります。

 盛行のBRTは駅の時刻表の右側に掲示されています。備考欄には全便上鹿折に停車しないと書いていますが、よくよく見れば、全てのバスが陸前矢作と竹駒も通過します。だったら備考でまとめれば良いのにと思うのですが、実はこの3駅、少々扱いが違っています。

 大船渡線鉄道路線は、気仙沼を出ると内陸寄りのルートを取り、上鹿折から陸前矢作と竹駒を経て盛方面に向かっていました。ところが、BRT路線は海沿いを走る一般道を経由するため、この3駅は取り残される格好になったのです。

 とはいえ、鉄道代行バスが駅を無視するわけにはいきません。これら3つの駅のうち、陸前矢作と竹駒には陸前高田から枝分かれするBRT路線が設けられました。ところが、上鹿折には既存のバス路線があったため、そちらをBRT路線として扱うことになったのです。

 時刻表での扱いの差も、このような違いを反映しているのかも知れません。私が愛用する『小さな時刻表』でも、陸前矢作と竹駒へのBRT路線は気仙沼~盛間の「本線」と一体化して扱われている一方で、上鹿折に向かうバス路線は掲載すらされていません。

 ただそうなると、鉄道乗りつぶしという点からは気仙沼線以上にややこしい問題が出てきます。大船渡線は一ノ関から気仙沼を経て盛に向かう路線です。となると、まずは気仙沼線同様、BRT路線を乗車対象とするかどうかが1つ目の問題になります。ところがこれに加えて、乗車対象にする場合、気仙沼から盛の路線に乗れば良いとするか、「支線」まで含めるかが第2の問題になります。さらに第3の問題として、JRの鉄道線の復旧用でありながら、JRの路線ではない気仙沼上鹿折のバス路線も「支線」に含めるか、という問題も出てくるのです。

 これら3つの問題、どれも正解を一意には決められない、悩ましいものです。ただ言えることは、私はこれまで気仙沼から盛までの「本線」には一度ならず乗ったことがあるものの、「支線」の乗車経験はありません。なので、今回はひとまず陸前高田から陸前矢作までの路線に乗ってみることにします。

 

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 盛行のBRTがやって来ました。まずはこのバスで、陸前高田まで向かいます。

 

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 BRTは気仙沼の次の鹿折唐桑まで専用線を走りましたが、そこから鉄道時代のルートを大きく外れ、海沿いの一般道を走ります。そして平野部に出てから、いかにも造成された高台に上がって陸前高田に着いたのですが……あれ、陸前高田ってこんなところだったっけ?

 

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 真新しいバスターミナルの向こうには更地が広がっています。ここも気仙沼と同じく風が強く、土埃が舞っています。ただ、前に来た時はプレハブが結構並んでいたような気がするのですが……

 

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 バスターミナルの傍には、おそらく駅舎のつもりの待合所ができていました。

 

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 駅舎の中は、はたしてトイレ付きの待合所になっていました。これが鉄道駅なら、右手に改札があって、そこからホームへとつながるのですが、当然ここにそんなものはありません。

 

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 駅舎の裏手は、普通自動車向けと思しき駐車場になっていました。無効に商業施設がある辺りから考えるに、ここにBRTの専用道を通す考えはなさそうです。

 

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 バスターミナルの付近は工事中。ネット越しに見えるのは更地ばかりで、陸前高田市の中心街の風景は、大震災から8年経った今も見えてきません。

 

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 ネットの奥に見えるコンクリートの建物。これが何だったのか、今何なのか、これから何になるのかまでは、見えませんでした。

 

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