可部線の復活区間はあっさり乗車終了。10分程後に折り返す電車に乗ることもできますが、あき亀山駅も河戸帆待川駅も見ておきたいところ。幸いここから河戸帆待川までは1キロもなく、時間の余裕もあるので、電車は見送って歩いてみることにしました。
あき亀山駅のホームから駅まではスロープになっていて、突き当りを左手に折れてから改札に出る作りです。ホームは1本だけで、いちばん北側の線路は、その気になれば簡単な工事で先に延ばせそうな雰囲気です。
ホーム南側には留置線が2本敷かれていて、最大4本の列車が収容できます。他の駅から回送しなくても、朝早くから電車を出せるわけですし、可部止の頃よりもダイヤは組みやすくなったはずです。だとすれば、延伸はJR西日本にとって副次的な効果もあったことになります。
簡素な改札を経て、あき亀山駅の正面まで出てきました。駅員の窓口もあるのですが、どれだけ使われているかは分かりません。
あき亀山の駅舎は、可部線のラインカラーである薄いブルーの屋根が波打つ穏やかなデザイン。設備としては券売機が1つに簡易な自動改札が2つで、余裕があるというか、壁面が目立ちます。
駅舎の傍らにあるレリーフには、亀のイラストが施されています。あき「亀山」駅だからということでしょう。
一方の「あき」は旧国名の安芸ですが、普通なら漢字表記のところをあえてひらがなにしているのは、同じ読みの「安芸亀山駅」という駅がかつてあったためです。こちらは現在のあき亀山駅からさらに西にあり、可部―三段峡間の廃止によって営業を終えています。
駅前はロータリーができたばかりで、今はまだ何の建物もありません。ですが、既に近くにある市民病院の一部がこの辺りに移設されることが決まっており、完成すれば駅の風景もだいぶ変わることでしょう。
■ 広島市・地方独立行政法人広島市民病院「安佐市民病院の建替えに関する説明会(第3回)」2016年8月21日・27日
ロータリーの東側。梅林でしょうか。今のこの状況を見れば、駅前が賑わって駅の乗降客数が増えるに越したことはないと思うのですが、一方で今後開発が進んだときに、この木々がどうなるのかは気になります。
ロータリーへと緩やかに下りながらつながる道。これからここを上がり、可部線に沿って走る道路に出て行きます。
駅の北側に出ると、新しい駐輪場がありました。自動車によるパーク・アンド・ライド用の駐車場はなさげですが、駅の北側にはそこそこ住宅がありますし、駐輪場がないと違法駐輪が増えることは必至なので、まずは自転車対策で先手を打つ方が先なのでしょう。
反対側を見ると、盛り土が細く向こうに伸びています。可部線の廃線跡でしょう。
見ると、レールが片方残っていました。
可部―三段峡間の廃止に際しては、有志による第三セクター化の動きもあったのですが、資金がほとんど集まらずに断念。現時点で、あき亀山駅から先の区間を復活させる計画はなく、この廃線跡も、レールが撤去されて転用される可能性は否めません。
駅への取り付け道路から、表通りまで来ました。こうしてみると、駅があるというのはなかなか分かりにくい気がします。もちろんこの交差点には案内標識が出ていますが、何か駅の存在を示す表示があっても良いのではという気はします。
通りには延伸開業を祝う幟が立っています。延伸開業から1カ月以上経った今も、通り沿いにかなりの数が残っています。
少し先、まだ駅のホームが並行して伸びていそうな辺りにバス停がありました。道の片方にだけ立っていて、待合場所もありません。
時刻表を見ると、バスの本数はかなり限られています。これだけで通勤・通学の需要は満たせそうにありません。かつ、ダイヤ改正の時期からして、可部線が延伸したから本数を減らしたというのではなさそうです。
可部―三段峡の鉄道があった頃も、この辺りは一日数本のディーゼルカーが走るのみでした。かつバス転換後もご覧の通りで、公共交通から自動車へのシフトが進んだのは容易に想像できます。そのようなヒトの流れを電車が取り戻せるか。大事なのはこれからです。
さらに進むと、できたばかりの駐輪場がありました。先程のものよりも大規模ですが、駅からは離れているせいか、また休みの昼というのもあってか、自転車の数はまばらです。監視員の人もいますが、どうにもヒマそうです。
駐輪場を越えて、電車は川を渡ります。鉄橋自体はかつてのものを再利用しているようですが、川の両岸の橋台は新しく作り直されていて、旧来のものはほとんど残っていません。
そこからあまり歩いた気がしないうちに、河戸帆待川駅の案内標識があっさり出てきました。あき亀山駅を出てから10分ちょっと、あまりにあっさりと到着です。
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