私と同世代以上の高校野球好きなら、伊野商業高校の名前を憶えている方も多いことでしょう。その校舎があるのはいの町中心街の東側、すぐ近くを走るとさでん交通伊野線には、名前を冠した駅があります。
名前が示す通りいの町内にある停留所があるのは、やはり国道33号線と長く併走する区間の途中。建物が並ぶ町の中心街は途切れ、枝川近辺の商業施設の並ぶにも入らない、いかにも地方都市の郊外というところにあります。
待合室のある東行ホームとノーガード電停の西行ホームが線路を挟んでいます。待合室の近くには、日本の交通事情を知る者でなければそれがバス停の標示とは伝わらない、錆び付いた標柱が立っています。
バスがやって来ました。この辺りのバスはとさでん交通の路線ではなく、旧高知県交通の子会社によるものです。
停留所で待っていた乗客は、皆電車ではなくバスに乗り込んでいきました。残ったのは何の用があるわけでない、物好きな私一人だけです。
近くの停留所にある似たような待合室と同じく、左右一面にベンチが伸びています。小さな黄色いビニールの庇は、日差しを避けるのに辛うじて足りるか足りないか。
待合室の壁には、古い路線図の上に新しいものが貼られています。ここへ来て初めて気づいたのですが、運賃表の英語表記はありがちなFareでなく欧州式のTariffでした。どうしてこうなったのか、大げさな理由はないのでしょうが、それでも聞いてみたいものです。
線路両側の乗り場を行き来する乗客のために、線路が一部舗装されています。とはいえ、実際にはわざわざここを通らない乗客も見かけます。
伊野方面。すぐ隣の停留所付近がショッピングセンターなのですが、賑わう様子はここからは見えず、ただ一つの看板だけがロードサイド型商店の存在を何とか示しているのみです。
停留所の名前の由来となった伊野商業高校は、はりまや橋方面ですぐ見つかりました。
かつて高校野球をKKコンビが席巻した時代。伊野商業高校野球部は初出場でありながら勝ち進み、準決勝でPL学園を破った末に優勝を成し遂げました。当時子どもだった私は試合のことはまるで覚えていませんが、伊野商業の名前は心に刻まれています。
あれから32年。まさかこのような形で、伊野商業前に降り立つことになるとは。人生分からないもの、という陳腐な言葉しか思い浮かびませんが、実際否定しようがないのですから仕方ありません。
ふとディーゼル音が聴こえたかと思うと、土讃線の1両だけの列車が伊野へ向けて走り去っていきました。
ほどなく、伊野で入れ違ったであろう高知行も目の前を通過。冬の田畑が広がる中、轟音は遮られずに遠く響いていきます。
とさでんに目を転じれば、伊野行の電車がゆっくりと近づいてきました。
冬の最中の停留所。まだ来ぬ春、かつて街が沸き上がったであろう春。そんな遠い春を思いながら、停留所を後にしました。