高知に来て気づいた20のこと、残り5つです。ちなみに1~10は(上)を、11~15は(中)をご覧ください。
16. 日常と観光が切り離されていない
これには2つの意味があります。1つには、普通に歩いて、あるいは自転車に乗って、高知城やはりまや橋や日曜市や高知駅前の3志士像やイベントなどなどの観光スポットに入り込んでしまうという意味です。流石に桂浜は遠いですが。
ただ、個人的にはもう1つの意味の方がインパクトが大きいです。というのは、「観光客向けっぽいものが実は日常的な存在である」ということです。
いろいろな観光地、名所・旧跡には、観光客向けに特化した施設やイベントがあるかと思います。有り体に言えば「観光客は行くけど地元民は行かない」という種類のものです。高知市内にもそういうものがあるのかも知れません。
ですが、例えば日曜市なら観光客ももちろんいますが、普通に近隣の人が買い物に来るわけです。ってか我々も行ってます。あるいは、商店街には土佐料理の店がいろいろあって、それこそ観光客向けかと思いきや、地元の人が呑んでいる。これまた観光ガイドに出てくるひろめ市場でも、普通にその辺のおんちゃん(おじさん)おばちゃんが昼間からビールを呑んでいる。その中にあるカツオのたたきの店は県民総選挙で2年連続高知市内1位に輝いています。せっかくなのでリンクを貼りますが、他にも観光ガイドで見た店が1位になっているところがあります。
こういう感じで、観光客「だけ」を向いたところを探すのが逆に難しい。それがないとまでは思いませんが、むしろ地元の人々の支持を受けたところが観光客にもウケているように思えてきます。
観光は高知にとって産業の大事な柱ですが、だからこそ「観光化されてない」、つまり地元の文化的所産から切り離されたステレオタイプではない、可能な限りありのままの土地を楽しんでもらえることは大事だと思いますし、私が見る限り、高知はそれにかなり成功していて、非常に感心しています。
17. 川が多い堀が多い鯉が多い
たまごクラブひよこクラブこっこクラブのリズムで読んでみよう
鏡川、江ノ口川などさまざまな川の下流に発展した高知市は水の多いところです。まして城下町で掘割もあったりして、場所や時間帯によっては水があふれんばかりに流れているところもあります。
そして、そんな川や堀には大きな鯉が何尾も悠々と泳いでいたりします。
小さな堀でこんな感じです。この時間はまだ水が少なかったのですが。
ただ怖いのは 、ガードレールや柵がないところが多いんですよね。
夜は街灯が少なくて暗いですし、落ちないようにだけは余程気をつけないといけません。
って一番注意すべきなのは酒に酔った時の私ですが。
18. 大正義高知新聞
「大正義」というと語源や語感からして揶揄しているように思われるかも知れませんが、悪意はありません。現在では圧倒的な勢力を持つことを表すのが一般的かと思って使ったまでのことです。ちなみに「圧倒的じゃないか、高知新聞は」というのも考えましたが、フラグを立てちゃまずいので止めました。
というのはさておき、高知新聞自身が出しているデータによると、今年1月時点で県内での高知新聞の普及率はなんと86.5%。独自調査ではありますが、体感的には納得のいく数値です。どこに行っても高知新聞は見かけますし、当然職場にもあります。今話題の学部に所属しているので、紙面で取り上げられることがあるのですが、そういう時も身近な誰かが高知新聞を読んで見つけて教えてくれます。なのでかえって買わずに済んでしまう(笑)いや、地域協働学部の話題が出た時はなるべく買って保存するようにしてますが。
ただし、これは言わねば。ウェブサイトをもっと充実させて!
高知では最大手紙にもかかわらず、ウェブサイトに載るニュースの量があまりにも少ない。県外に移った高知県出身者にも、寂しく思っている人はいるのではないでしょうか。加えて、SNSでのシェアボタンがあるものの、ツイッターに関してはクリックしたらURLが出るだけで見出しまでは示されない。この辺の使いづらさも感じています。
あと、できれば電子版が欲しいです。紙面より値段が高いのは困りますが、そうでなければ購読したいですよ。どうしても紙だとかさばりますし、あとで処分も大変ですし。それに、郡部だと夕刊のない総合版のみを扱うところもありますが、そういうところなら月数百円プラスで電子版の夕刊も届けます、というサービスもあり得るかと。どうでしょうか?
19. 「高知家」の浸透度
……って何?という県外の方は結構いるでしょう。こういうものです。
簡単に言ってしまえば高知県の観光キャンペーンとなりそうなのですが、たんなる県外へのアピールではなくて、県内の盛り上げも含めている点は注目されます。
「高知家」のグッズもいろいろあって、我が家も高知移住にあたって根付とペンと軍手を県の担当者から頂いたのですが(ありがとうございます)、他に良く見かける1つがピンバッジです。県知事や県庁の職員の方をはじめ、JRの職員さん、さらには職場でもつけている人を見かけます。
私も来月脱藩の予定があるので、その時に付けて行ったら話のネタになるかなぁとは思うのですが、職場でピンバッジを付けているのは幹部クラスになるので、一介の教員が付けて問題ないかなぁ、と及び腰な部分もあります。
気味の悪い話が最後になりますが、大事なことなので。
高知では南海トラフ地震が来て、大津波が発生する前提で備えが進められています。NHKのニュースを見れば、地震・津波への備えについて、毎日(私が見た限り、本当にすべての日です)取り上げていますし、市役所でもらったタウンページにも災害時の対策についてページが割かれています。
しかも凄いなと思ったのは、地震・津波が、やなせたかし先生の手でキャラクター化されているんですよ。
最初は驚きました。そこまでやるかとも思いました。ですが、子どもたちに地震・津波の脅威と準備の必要を理解してもらうには、このぐらい分かりやすく訴えないといけないんでしょう。にしても、やなせたかし先生の郷土愛には頭が下がる思いです。ちなみに高知市内では石を投げれば先生のキャラクターの像に当たる恐れが他所より高いので、投げないでくださいね。
私は阪神・淡路大震災を一応経験しています(このエントリを参照していただければ嬉しいです)。もうあんな思いはしたくないと願ってきましたし、今もその願いは変わりません。
ですが、この地に来た以上、もう諦めなければならない。というとネガティブなので、腹を括らなければならない。おそらく本当に南海トラフ地震が来たら、阪神・淡路の時よりも大きく、深い傷を負うことになるでしょう。でも、私は期せずして、同じように傷を負うことになろう人々と、その痛みを共有することを選んだのです。それが、高知に呼んでもらえた者にできる誠意だとは思っています。
おまけ:東京も大阪も遠い世界に思えてきた
これは高知に関することではないのですが、こちらに来て感じたことなので、番外で。
高知に来てまだ1ヶ月。高知の人間には全然なりきれてないとは思います。ただその一方で、大阪にいた時よりも東京都の心理的距離は開きましたし、1ヶ月前までいたはずの大阪も、もはや私にとっては別の世界になってしまった、とは実感しています。
これから順調に行けば、高知で長らく暮らすわけですし、それだけ時間をかけて高知の人々の文化、つまりは物事に対する感じ方・考え方・行動のあり方に染まっていくわけです。別に羽織袴にブーツを履いて短銃を持ち歩くことはありませんが(まさかとは思いますが、高知県民といえばそういう龍馬のステレオタイプを思い浮かぶ人がいたりして)、程度の差はあれ高知人にこれからなっていくわけです。
となると、首都圏や京阪神の人からすれば、私は「地方の人間」になるわけでしょうし、逆に私からすれば、大都市の人々は、同じ日本にいて、言語による意思疎通が非常に容易であるというだけの「他者」になるのだと思います。
表現が難しいのですが、高知に1ヶ月暮らしてみて、京阪神で生活したままでは一生理解できなかった文化があったのだと思いました。そして、運命が一つ間違っていたら、自分はそれらを理解せずに日本の地域を語る傲慢なことをやらかし、その愚に気づかないまま一生を終えるところではなかったか、というのも分かったつもりです。
この辺は書き出すと長くなるので省きますが、「都会者の目線」とは別の視点を持てそうなのは、自分にとって良かったと思っている、というぐらいに留めておきましょうか。
他にもいろいろありますが(高知名物アイスクリンはこれからの季節世話になるだろうなぁとか、はりまや橋の停留所にいたらファミマの自動ドアが開く音とともに電車がやってきたとか、その電車が全面痛かったとか)、何はともあれこちらは元気でやってます。これからはどんどん発信してまいります。お楽しみに。
そして、どうぞ「機会があれば」じゃなくて、「機会を作って」高知に来てみてください。おもしろいよ。